
本日1月4日(日)、プロレスラー、棚橋弘至が現役を引退する。「WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム 棚橋弘至引退」。会場となる東京ドームは、約3週間前に全席種のチケットが、追加席も含め完売(当日券はなし)。文字通りフルハウスでの歴史的興行ともなる。さしたる肩書きも格闘歴も持たずにデビューした棚橋が、なぜこれほどの数の客の足を運ばせるレスラーとなったのか。その軌跡を辿りたい。
■新日本プロレス暗黒期に命運を託された棚橋
棚橋弘至は、1976年11月、岐阜県の生まれ。小学生時は、「今、教室に悪者が入って来たら、どう戦えばいいか」など考え始め、「みんなを逃がした後に、自分はやられる」という悲劇のヒーロー像を夢想して悦に入る少年だった。好きな童話が、友人のために青鬼が悪役を買って出る「泣いた赤鬼」と言うから、筋金入りだった。
1998年2月、新日本プロレス(以下、新日本)の入門テストに合格したが、この時の試験番号は34番ながら、ゼッケンは30番までしか用意されていなかったという。有望な入門希望者で溢れかえるほど、新日本プロレスは当時、人気だったのだ。
しかし、折からのPRIDEに代表される総合格闘技人気や、そちらを無視出来ずリンクしたがる新日本の方針に、選手たちは次第に困惑し、団体も迷走。気が付くと、2000年代前半、橋本真也や武藤敬司、長州力らの人気レスラーが、新日本を離脱していた。1999年、デビューした棚橋は、若さとスピードを前面に押し出したファイトで頭角を現す。しかし、同じ会場で、かつてはアリーナぎりぎりまで並べられていた客椅子の列が、5列、3列と急速に減って行くことに気づいていた。
人気低迷の結果、新日本は自力経営が立ち行かなくなり、2005年11月、株式会社ユークスに身売り。選手の年俸含め、バジェット(予算)は半分に減らされた。この時、ユークス側が、「選手として、ぜひ残して欲しい」と新日本側に厳命したのが、中邑真輔(当時25歳)と、棚橋(当時29歳)だった。若い2人に新日本の命運を託したのだ。
■ブーイングを浴びる日々
棚橋は翌2006年7月に団体のトップタイトルであるIWGPヘビー級王者に輝く。ところがこの時期、棚橋の人気は上がらぬどころか、ブーイングまで飛ぶようになった。棚橋は立命館大学時代、学生プロレスに勤しんでおり、アマレスや柔道の経験はあるものの、さしたる実績はなかった。新日本はそれまで、創始者・アントニオ猪木に代表される、強さを主張する闘い模様、“ストロングスタイル”を標榜していた。対照的に、見栄え良く大向こう受けする棚橋のファイトに、嫌悪感を示す旧来のファンが少なくなかったのである。
懸命に戦っても、いざ自らの強さを打ち出しても、支持されぬ日々が続く。そんな時、気づきを得たのは、アントニオ猪木が現役時の古くから音響を担当する、ベテランスタッフの一言だった。
「棚くん、チャンピオンは、やられてナンボだよ。猪木さんも実際はそうだった。今のままでいいんだよ。王者が一方的に相手を叩きのめす試合なんかで、お客は感動しないよ。何10分かの試合で、自分が立ち上がる姿を、お客に伝えて行くんだよ」
考え方も変えた。アンチ棚橋がいるなら、対戦相手を活躍させれば、結果的に試合全体が盛り上がる。プロレスのために、その身体を差し出す覚悟だった。「泣いた赤鬼」の青鬼を、地で行っていた。試合後の決め台詞として「愛してまーす!」とマイクを披露し、ファンに罵声で返されても、バラエティ番組に出て「100年に一度の逸材、棚橋弘至で~す!」と自己紹介し、客席が水を打ったような静けさになっても「インパクトは残せました」と前を向いた。
■全身全霊をかけて新たなファン層を開拓
新たなファン層の開拓にも腐心した。客席列減少の悲しい思い出が、エース・棚橋に、向き合わねばならない現実を教えていた。
「『プロレスはもう、売り手市場じゃない。買い手市場になっているんだ』と……」(棚橋)
そして、道場で選手を鍛えていた鬼教官、山本小鉄の教えが蘇った。
「プロレスラーはただでさえ近寄り難い威圧感があるんだから、普段から、より丁寧に人に接しなければならない」
1人称を“俺”から“僕”に変えた。試合が終わると、リングサイドを一周し、自分からハイタッチ。いつしかその手は、下方に向けられていた。子どものファンの手を気にかけた結果だった。先頭に立って、新日本のプロモーション活動に参加。夜の宴席で、何百枚というサイン色紙に筆を走らせたことも。「正直、試合のある時の方が、よほど楽だった」と語る。
王者となってから2年後の2008年にもなると、評判を呼び始めた。「棚橋のファンサービスは凄い」「1人に5分以上かけてサインしてる」「名前覚えててくれた!」etc。あるサイン会を取材した際、親がファンなのかも知れないが、モジモジして喋れない少年、少女ファンに「学校楽しい?」「夏休みの宿題、終わった?」と自分から話しかけていた姿を覚えている。
気づけば、業界を代表するレスラーを選ぶ東京スポーツ制定「プロレス大賞」MVPを2009年、2011年、2014年、2018年と受賞。それぞれの受賞理由を挙げたい。「自分の団体どころか、プロレス界を引っ張って行く覚悟がある」(2011年)、「ファンサービス面でも、地道な努力を欠かさない」「棚橋が中心にいるからこそ、他の選手が光ることが出来る」(2014)。
その東京スポーツの記者に、こう評価されたことを、棚橋はちょっとした誇りに思っている。
『トップに立つ人間が、楽しんで下さい、誰でも観に来て下さいと門戸を開いている。そういう姿勢がファンに伝わって、今の新日本は、ファン歴を問わず、老若男女問わず、誰もが楽しめる空間になっている。間違いなく、棚橋さんの功績ですよ』
■棚橋にとってのプロレスとは
IWGPヘビー級王座は、歴代最多の8度獲得。毎年1月4日に行われる東京ドーム大会では本日を含め、これまた歴代最多の11度のメインを務める。だが、そのメインで負けたことももちろんあるし、ベルトは獲得した回数、陥落している。そんな棚橋は、プロレスをこう結論づける。
「勝ったり負けたり、その度に立ち上がったり。人生はトントン。そう、プロレスは生き方なんです」
一方で、忘れえぬ財産もあると言う。それは、厳しい冬の時代を経た棚橋が、近年、入場した直後に見せる行動に関していた。コーナーポストに上がり、客席を見回す。そこには詰めかけた沢山のファンの姿が映っている。そこで毎回、心のシャッターを切ると言う。そういえば、昨秋、「自分の引退試合で、東京ドームを満員にするのが、最後の願い」と言っていた。
願いは達成される。それは棚橋からのプロレス愛を今まで受け取って来た観客の、棚橋への愛の表れに他ならないと思う。
伝説の一夜を楽しみにしたい。
文=瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。近著に『10.9 プロレスのいちばん熱い日』(スタンダーズ)『アントニオ猪木』(新潮新書)、『プロレスラー発掘秘史』(宝島社)など。
「WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム 棚橋弘至引退」は1月4日(日)夜10:15よりテレビ朝日系列地上波にて放送。

