『このミス』大賞(『元彼の遺言状』)、山本周五郎賞(『女の国会』)受賞作家・新川帆立の最新作は、恋と魔法の学園ファンタジー『魔法律学校の麗人執事』!
12月24日『魔法律学校の麗人執事3 シーサイド・アドベンチャー』の発売を記念して、試し読みを全12回でお届けいたします。
* * *
マリスはテラスの手すりの上に腰かけていた。冷酷な眼差しをこちらに向けた。
「お前、今、何をしようとした? 魔法も使えないくせに、俺に反撃しようとでも考えたのか。呪文一つでお前なんて殺せる。分かってるのか。ああ?」
マリスが右手をこちらに向けてかざした。禍々しい空気が集まり、手のひらが赤黒く染まっていく。
「野々宮椿は、入学早々に失踪した。魔力がないことを気に病んで、学園から逃げ出したのだろう――と、処理しておく」
星空を背に負いながら、ぞっとするほど美しい笑顔でこちらを見おろしている。この状況を心から楽しんでいるのだと分かった。
「ほら、命乞いしなくていいのか? 泣き叫んで、忠誠を誓え。絶対の忠誠か、孤独な死か。今、選ぶんだよ」
「……殺せません」声を振り絞って言った。「あなたは私を殺せない」
マリスのこめかみがピクリと動いた。みるみるうちに青筋が立っていく。
私は痛む腹を抱えながら、まっすぐマリスを見すえた。恐怖を通り越して、妙に冷静で、挑戦的な気持ちが芽生えていた。
雑草のように生きてきた。このくらいのことで負けてたまるか。
「『雇用契約書』第二条、乙は、甲の生命の安全を保障する。あなたは主人として、私の生命の安全を保障している。つまり、あなたは私を殺すことはできません。契約は絶対なんですよね?」
マリスの口元が歪むのが見えた。
この論法が効いている証拠だ。反論の隙を与えずに続けた。
「雇用契約は、お父様がマリス様の代理人となって、契約したものです。その契約を、マリス様の一存で破るとなると、お父様の顔に泥を塗ることになる。それでもいいんですか」
マリスがかかげた右手が鮮やかな紅色に染まった。星の光を集めるように、紅色はどんどん明るくスパークしていく。
え、えええ? 説得失敗?
本当に殺す気なの?
やばいやばいやばい。こんなはずじゃなかった。
日本一の名門校で勉強しながら働いて、修道院の子供たちを助けるつもりだった。私が死んだら報酬ってどうなるんだっけ。労災っておりるのか。生命保険に入っておけばよかった。修道院は、子供たちはどうなるの?
一瞬のうちに様々な思考が駆けめぐった。声を出す余裕もなかった。ただ茫然と、目の前のルビーのような輝きを見つめていた。
「やめなよ、マリス」
宙から声が落ちてきた。
急に赤い光が消え、暗闇に戻る。
声の主を探して振り返ると、窓から伊織が顔を出していた。窓枠に片肘をおき、頬杖をついて、欠伸を嚙み殺している。
「そんなパンピー殺したって、魔力の無駄遣いだよ」
マリスは鼻白んだように顔をそむけると、「それもそうだな」と言った。
「まったく馬鹿らしい」吐き捨てるように続けた。「『雇用契約書』第一条、甲は、乙の命令に従う。お前は、俺の命令に従う。契約は絶対だ。その手紙の返事は、お前が書け。これは命令だ」
マリスはひらりと身をひるがえすと、テラスの手すりから外に飛び降りた。私はほふく前進をして手すりに近づき、下を見た。マリスの姿は跡形もなく消えていた。
もしかして、命拾い、した?
テラスに尻もちをついたまま窓を見あげた。伊織は身じろぎもせず白い顔を向けていた。
「助けてくれたんですか?」
「別に」伊織は抑揚のない調子で答えた。「うるさいのが嫌なだけ。テラスで騒がないでよ」
「す、すみません。ありがとうございます」
「どこでスイッチが入るのか分からないけど、あいつ、たまにキレるから。君も事情があって執事なんかやってるんでしょ。マリスには逆らわず、テキトーにやり過ごせばいいじゃん」
「でも……」
「もう助けないから」と言って、伊織は中に引っ込んだ。
足元に落ちた桃色の封筒を拾いあげる。そっと中を開くと、丁寧な文字で、思いの丈がびっしり書いてあった。脱力してテラスに寝転がり、月光にかざして読み通した。マリスに憧れ恋い慕う想いが等身大の言葉でつづられている。
(こんな言葉、あの男にはもったいない)
いかに本人が望もうとも、琴子の恋は叶わないほうがいい。なるべく優しい言葉で、断りの手紙を書こうと思った。
5 マリス
灯りを消した部屋のベッドで寝返りを打った。もう片方の壁に寄せて置かれたベッドに、意識を向ける。
新しい執事、椿の寝息が、一定のリズムで聞こえてきた。
あいつ、なんでケロッとした顔で寝ているんだ。
胸のうちに、再びむかつきが込みあげてきた。
大講堂のテラスでやりあってから三十分後には、椿は寮の部屋に戻ってきた。
「先ほどは失礼しました」と頭をさげ、一通の手紙を差し出した。「ラブレターへの返事です」
念のため、朗読させて文面を確認したが、なかなかの出来だった。
というか、それよりも。
蔓で思いっきり腹を打ちつけたはずなのに、椿は平気な顔をして歩き回っている。状況が理解できなかった。常人であれば、あの攻撃で肋骨が折れていてもおかしくない。怪我を理由に退職に追い込もうと思っていたから、手加減はしなかった。
それなのにあいつ、ちょっと痛いなという感じで、腹をさすっていただけだ。肋骨にはヒビも入っていないだろうし、おそらく、実質的なダメージを与えられていない。
強すぎないか?
魔法が使えないぶん、何らかの特殊体質を持っているのだろうか。だから執事として雇われたのだろうか。父は「今度の執事はとっておきだぞ」とニヤけた顔で話していた。だが、具体的な採用理由を訊いたわけではない。
そもそも執事の採用理由なんて俺は興味がない。
働かせてみて使えなかったらそれで終わりだ。
俺は何も、いたずらに執事をクビにしてきたわけではない。ある者は作業の詰めが甘く、ある者は裏でサボっていた。指示を待つばかりで気が利かない者もいた。条ヶ崎家のブランドを目当てにすり寄ってきただけで、忠誠心の欠片もない。そんなやつらに俺の背中を任せるわけにはいかなかった。
だけど、あの椿という男は、もしかすると、もしかするのか?
魔法が使えないのはこれ以上ないほどの欠陥だ。けれども雑事をやらせるぶんには魔法の力は必須ではない。
少しだけ期待している自分が嫌だった。
「……早緒莉ちゃん」
椿の寝言だった。
「久しぶり……わー、早緒莉ちゃん、可愛いワンピース……」
俺は寝返りを打って、「なんだよ」とつぶやいた。
早緒莉というのは、一般地区に残してきた彼女だろうか。年頃の男だし、顔もまあ整っているから、恋人の一人や二人いてもおかしくはない。
「まったく庶民は気楽なもんだな」
わざと大きい声で言ってやったが、椿からは寝息だけが返ってきた。

