「葬式は、要らない」が加速―“人の死”にまつわる不合理な伝統|島田裕巳

「葬式は、要らない」が加速―“人の死”にまつわる不合理な伝統|島田裕巳

世界一高い日本の火葬率99・97%

まず伝統のもろさを示す良い例がある。それは、西日本のある町で起こった出来事である。

今では、日本全体に火葬が普及している。火葬率は99・97パーセントに達した。これだけ火葬率が高い国は他にない。日本は世界随一の「火葬大国」である。

ところが、それほど昔とは言えない時代には、土葬が珍しくなかった。私は、1980年代初頭に、山梨県内の山村の調査に携わったことがあるが、その村は土葬で、火葬はまったく行われていなかった。

現在でも、土葬が法律で禁じられているわけではない。ただ、自治体の条例で制限されている。また、土葬をしようにも、その土地を確保することが難しい。それでも、ごく一部、火葬場が遠い山村部で土葬は行われており、それが残りの0・03パーセントという数字に結びついている。そのなかには、船員法で認められた水葬も含まれるが、大半は土葬である。

ここで問題にする西日本のある町では、平成の時代になってもまだ土葬が続けられていた。しかも、土葬一色だったのだ。

その町のある住民が、他の地域ではとっくに火葬になっているということで、父親が亡くなったとき、火葬を選択した。町には火葬場がなかったので、少し離れた町にある火葬場で荼毘に付したのである。

すると、住んでいる町の住民から、「火葬なんてとんでもない。それは地域のしきたりに反している」「おじいさんが火にあぶられるなんて、なんて残酷なことをするのだ」「さぞかし熱かったろう」と、激しく非難されることになった。火葬したことで、今風に言えば、文字通り「炎上」したわけである。

その後も、その家はとんでもない、おじいさんにひどく可哀相なことをしたと、ことあるごとに非難されていた。

ところがである。

土葬の伝統があっけなく崩れ去った瞬間

20世紀の終わりに起こった平成の大合併で、周辺の4つの町が合併して市になった。その直後に、新しい市に火葬場が新設された。

すると、土葬がしきたりだと強く主張していた町の住民も、死者が出れば、火葬するようになった。火葬した家を非難したことなど、すっかり忘れてしまったのだ。

そして、その町の住民だった年寄りは、今では、「土葬はきつかった」「遺体を埋めるための穴掘りが大変だった」などと言い合っているらしい。

伝統とはそのようなものである。

数十年前には、土葬が当たり前で、特に地方ではその割合が高かった。ところが、私が調査に携わった山村でも、今ではすべて火葬になっている。土葬から火葬への切り替えは、急速に進んだ。あっけないほど簡単に、伝統は崩れ去ったのだ。

今では、「土葬なんて恐ろしい」「衛生上問題があるのではないか」と言う人も増えてきた。

最近では、日本でもイスラム教徒が増え、日本で亡くなる人もいる。ところが、イスラム教徒は、火葬を嫌う。聖典であるコーランに「地獄では火に焼かれる」といった描写があり、それが連想されるからだ。そこで、土葬を望むのだが、その用地を確保することが難しくなっている。事情は複雑だが、周辺住民が土葬を好まなくなっていることも一因になっている(そのあたりのことについては、鈴木貫太郎『ルポ 日本の土葬 増補版』〈合同会社宗教問題〉で詳しくふれられている)。

6世紀、日本に正式に仏教が伝えられてから、徐々に火葬が増えていくのだが、戦後になるまで、それが増加するスピードは緩やかだった。私たち日本人は、それこそ何千年にもわたって土葬してきたにもかかわらず、現代になってあっさりとその伝統を手離してしまったのだ。

配信元: 幻冬舎plus

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