「葬式は、要らない」が加速―“人の死”にまつわる不合理な伝統|島田裕巳

「葬式は、要らない」が加速―“人の死”にまつわる不合理な伝統|島田裕巳

変化もするが、不合理な伝統はまだまだある

伝統とはそういうもので、どこかで「ころっと変わってしまう」のである。

変わってしまうと、すぐに昔のことはわからなくなってしまう。なぜそれが伝統として守られていたのか、その理由を説明するのも難しくなってしまうのである。

人を葬るということについては、さまざまなしきたりや慣習があり、それが伝統であり、日本の葬送文化だと言われる。

だが、それぞれのしきたりや慣習について調べていくと、それらが実は、さほど昔から受け継がれてきたものではないことがわかってくる。

もちろん、難しいのは、「昔から」ということが、いったいいつからのことなのか、それを定めることである。10年前からであれば、昔とは言えないかもしれないが、では、50年前からならどうなのだろうか。昔という言葉は、基本的に定義なしに使われる。100年前も昔なら、1000年前も昔なのだ。

時間的な定義なしに使われるところに、昔からという言葉の曖昧さがある。曖昧ではあるものの、いや、曖昧であるがゆえに、それは時に強制力を持ち、私たちの行動を縛るのだ。

これから本書で述べていくことは、そうしたことが深く関係する。私たちは、次第に伝統に縛られなくなってきたようには見えるが、まだまだ、完全にそこから解き放たれたわけではないのだ。

不合理な伝統は、今でも生きている。

いったい何が不合理な伝統なのか。

人の死と、その後の扱い方について、必要なものと不要なものを見定めることが、この本の目的である。

そうした伝統の変化は、私たち自身が望んできたことでもある。そこを見極めることで、私たちは、自分たちの生き方そのものを新たな視点から眺めることができるようになるはずなのである。

配信元: 幻冬舎plus

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