「余命3年、治癒はない」。青森県在住の平山美穂さんが、医師の言葉に絶望した日から12年が経過しました。多発性骨髄腫という血液がんと向き合いながら、仕事を続け、ゴルフを楽しみ、定年退職を目指しています。片道2時間かけて岩手医科大学へ通院する日々を送る平山さん。再発の不安を抱えながらも「病気のことを考えるのは通院日が近くなってから」と前向きな姿勢を保っています。診断時の絶望から、どのように希望を取り戻し、新薬への期待を持ち続けているのか、その軌跡を伺いました。
体験者プロフィール:
平山 美穂さん
青森県在住。2012年の健診で多発性骨髄腫と診断され、当初は「余命3年」と告知を受ける。セカンドオピニオンを経て岩手医科大学の伊藤薫樹教授のもとで治療を開始。2015年に自家造血幹細胞移植を受け、その後も維持療法を継続。2019年に再発傾向が見られたが治療変更により深い寛解を達成。現在は経口薬による治療を続けながら仕事に復帰し、診断から12年が経過。片道2時間かけて通院しながら、再来年の定年退職を目標に前向きに生活している。
記事監修医師:
鎌田 百合(医師)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。
「人生終わった」余命宣告の衝撃

診断を受けたときのことについて、平山さんは当時を振り返ります。
「地元の総合病院で告知を受けたときのことは、今でも鮮明に覚えています。医師から『多発性骨髄腫は治療しても余命3年、治癒はない』と告げられました。化学療法や自家移植などの治療をしても再発は免れない、治療と寛解を繰り返し、やがて治療が効かなくなり死に至ると言われ絶望しましたね」
医師の口から出てくる言葉は恐ろしいものばかりだったといいます。
「頭の中は真っ白、目の前は真っ暗。正直、人生終わったなと思いました。元気な3年だったらまだいいかなとも考えましたが、おそらく入退院を繰り返しながらの余命3年間となるのではないかと想像していました」
平山さんは当時の心境をこう続けます。
「死に向かっての3年間は非常に長いと感じました。治療することに意味があるのか、自分は生きていていいのか、家族に迷惑をかけてしまうのではないか。そんな気持ちの方が強くて、なかなか治療に前向きになれませんでした」
「骨髄腫と共存する時代」医師の言葉が転機に
治療に前向きになれたきっかけは、セカンドオピニオンで受診した医師の言葉だったといいます。その先生から、「骨髄腫治療のイメージは、治る・治らないではなくて、治療をしながら骨髄腫を飼い慣らし、感染症などの対策をしっかりおこなって、良い状態をキープして治療をしながら人生を楽しむこと」だと助言を受けたといいます。
さらに、「これから先どんどん新しいお薬が出てくるので、治療をしながら時間稼ぎをすればするほど、新しいお薬の恩恵にあやかることができる。骨髄腫と共存する時代は目の前まで来ているのだから、今不安だと思うけれども、頑張って治療に入りなさい」と背中を押してくれたといいます。
この言葉が転機となったと平山さんは語ります。
「セカンドオピニオンの医師の言葉がきっかけとなり、治療に入ることができました。『治す』のではなく『共存する』という考え方が、私の心を軽くしてくれたのです」

