筆者の話です。
夫が「洗濯物、取り込んでおいたよ」と声をかけてくれた日のこと。
胸に浮かんだ小さなざわつきが、家事の“見え方”をそっと映して──。
取り込んだ山
仕事帰りに玄関へ入ると、夫が「洗濯物、取り込んでおいたよ」と笑顔で声をかけてくれました。
ありがたいと思いながら靴を脱ぎ、リビングへ向かいます。
ところが、ソファーの前で足が止まりました。
ハンガーに掛かったままの洗濯物が、背もたれいっぱいにずらりと並んでいたのです。
まるで洗濯物がひとまとまりで移動してきただけのようで、そこだけ家事が途中で止まったように見えました。
助かった気持ちと同時に、胸の奥に小さなざわつきが広がっていきました。
見えない工程
取り込んでくれたこと自体は、本当にありがたい。
けれど私にとって洗濯は、取り込んでからが本番です。
ハンガーから外し、畳んで、それぞれの引き出しへしまうまでが一連の流れ。
それに比べると、夫は「取り込むところまで」で区切っているように見えました。
悪気がないのも分かっているのに、山を前にすると気持ちがそわつきます。
普段から整った引き出しを見て「ここにあるのが当たり前」と思えるのは、きっとこの工程が見えないからなのだろうと感じました。
整った引き出しを開けるだけなら、家事はとても簡単に見える。
その裏にある細かな作業は、同じ家にいても案外伝わりません。

