
暮らしにまつわる過去をたずね、未来を夢みるさまざまな運動を「ユートピア」と定義し、「美しさ」にまつわる芸術や装飾工芸、建築デザインなどを紹介する『美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像』が、東京・港区のパナソニック汐留美術館にて開催されます。
『美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像』の主な3つの見どころ
まず展覧会の3つの大きな見どころをご紹介します。
ウィリアム・モリス著、 ケルムスコット・プレス刊『ユートピア便り』 1892年、TOPPANホールディングス株式会社 印刷博物館蔵
1.建築家たちが描いた「理想の場所」
美術・工芸・建築・民俗学といった多彩な領域を横断しながら、近代日本の建築家たちが夢見たユートピアをたどります。
ジョン・ラスキンの名著『The Seven Lamps of Architecture』(建築の七燈)をはじめ、蔵田周忠の自邸図面や森谷延雄の家具、立原道造による芸術家コロニーのスケッチ、今和次郎の民家採集図、レーモンド夫妻の群馬音楽センター設計図、磯崎新や伊藤ていじらによる建築資料など、理想の地をかたちづくった多彩な思索とデザインの軌跡を紹介します。
2. 絵画に託されたユートピアへの希求
鶴岡政男《夜の群像》 1949年、群馬県立近代美術館蔵
パリへの憧れを胸に池袋モンパルナスで活動した画家たちは、1930年代以降、次第に戦争に巻き込まれていきます。しかしそうした状況にあってもなお、「創作の自由」という理想を追い求めました。
本展では新人画会のメンバーである靉光、麻生三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介らの作品が集結。松本竣介の《立てる像下絵》からは、不安を抱えつつも戦争の時代に抗う画家の意志が感じられます。また鶴岡政男の《夜の群像》には、戦後の混沌と矛盾に満ちた現実の中でも、たくましく生き抜く人間の生命力が刻まれています。
3. 若手建築コレクティブ「GROUP」による会場構成
会場デザインを手がけるのは、大阪・関西万博でも注目を集めた若手建築ユニット「GROUP」です。展覧会で紹介されるそれぞれのユートピア、そして私たちの日常の延長の先にあるユートピアを展望する装置としての「ユートピア観測所」をコンセプトとしています。
芸術や装飾工芸、建築デザインなど、約170点の作品と資料を紹介!
それでは第1章から第5章までの展示構成に沿って、出品作品の一部をご紹介します。
第1章 ユートピアへの憧れ
横堀角次郎《静物》 1922年、群馬県立近代美術館蔵
ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスの思想に影響を受け、日本でも理想を追い求める動きが広がった20世紀初頭。大正デモクラシーの時代を象徴するひとつのキーワードが「民」でした。
西欧美術への憧れとともに、自由と個性を尊び、自らのルーツを見つめ直した雑誌『白樺』。そこから生まれた白樺派の交流を経て、柳宗悦が中心となり、人々の暮らしの中に宿る美を見出した「民藝」運動が展開されます。その視線は朝鮮の工芸にも向けられ、美と生活をつなぐ新たな価値観を提示しました。
群馬出身の画家・横堀角次郎は、岸田劉生の率いる草土社に参加した同人のひとりです。《静物》に描かれた湯呑は、バーナード・リーチの作陶に岸田劉生が絵付けを施したもので、二人の深い交流を物語ります。本展では、同様の器もあわせて紹介します。
第2章 たずね求める 周縁、そして国外でのフィールドワーク
今純三 《考現学調査葉書 自宅アトリエノ窓外風景》 1931年、工学院大学学術情報センター工手の泉蔵
近代化の波が進むなか、自らの足元にある暮らしや文化を見つめ直した人々がいました。民家や民具を調査し、地域に息づく「民」の姿を記録するフィールドワークの営みが、未来へつなぐ「ミュージアム」を育みます。
建築家であり教育者の今和次郎は、民家調査や考現学、生活改善などを横断的に研究し、観察の成果を機知にとんだドローイングに仕上げました。一方、実業家の渋沢敬三は私設博物館「アチックミューゼアム」を設立し、資料の収集と研究者の育成に尽力。本章では彼が構想し、今和次郎も参加した国立民族学博物館の設計図が展示されます。
今和次郎の弟で資生堂意匠部のデザイナーとして活躍した今純三は、関東大震災を機に故郷・青森へ戻ると、銅版画家として活動した人物です。兄の唱えた「考現学」を自らの地で実践すると、《考現学調査葉書 自宅アトリエノ窓外風景》など、日常を観察したスケッチを絵はがきとして兄に送りました。
第3章 夢みる 都市と郊外のコミュニティ
立原道造《Lodge and Cottages》 1937年、軽井沢高原文庫蔵
関東大震災後、建築家や詩人、芸術家たちは、都市の喧騒から離れた郊外に「理想の暮らし」を夢見ました。1920年代の都市化と鉄道の発達により、郊外住宅地が広がる中、建築家・蔵田周忠はウィリアム・モリスの理念を手がかりに、自然と文化が調和する田園のユートピアを構想。
世田谷や杉並に文士や芸術家が集うモダンなコミュニティを設計しました。本展ではそのうち世田谷・供養塚に建てた自邸と、仲間の研究者たちが集って住んだコミュニティを紹介します。
一方、池袋モンパルナスでは、靉光、松本竣介、麻生三郎、寺田政明らが住人となり、芸術と友情を育みました。彼らが結成した「新人画会」の理想は、松本の論考「生きている画家」や「全日本美術家に諮る」に結実し、戦後美術の出発点となりました。
夭折した建築家・立原道造は、東京帝国大学の卒業設計として浅間山麓に芸術家コロニーを構想します。下図《Lodge and Cottages》には、セザンヌがサント=ヴィクトワール山に寄せた思いと重なるように、浅間山への芸術的な憧憬が描き込まれています。
第4章 試みる それぞれの「郷土」で
ブルーノ・タウト「ヤーンバスケット」 1934-36年、群馬県立歴史博物館蔵
山本鼎、宮沢賢治、竹久夢二、ブルーノ・タウトらが目指したのは、芸術と暮らしがひとつになった「ふるさと」という名のユートピアでした。美しい生活を生み出すための協働の実践が、各地で静かに芽生えていきます。
画家の山本鼎は、長野県上田に農民美術運動の拠点を設立し、農閑期の副業として工芸制作を指導し、デザインから制作、イベント開催までを芸術家仲間とともに展開しました。
竹久夢二もまた群馬・榛名湖畔に「榛名山産業美術研究所」を構想し、生活と芸術の調和を目指しました。宮沢賢治は、地質学や宗教、文学、芸術など多分野の知識を結びつけ、人々の幸福をもたらす理想郷=ドリームランドの実現を願いました。
「ヤーン・バスケット」とは、ドイツの建築家タウトがデザインしたもの。多角形のフォルムは彼が本国で設計したパヴィリオンを思わせ、内側には黄や緑の鮮やかな彩りが広がっています。群馬の伝統的な手仕事・竹皮編とモダンデザインが融合したこの作品は、銀座のショップ「ミラテス」で高い人気を誇りました。
第5章 ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ
アントニン・レーモンド「群馬音楽センター内観透視図」 1958年、レーモンド設計事務所蔵 ©The Raymond Family
戦後の混乱のなかで、芸術と建築の力によって都市と人の再生を目指した人々がいました。群馬県高崎を拠点に活動した文化人・井上房一郎はその中心的存在です。彼は戦前にブルーノ・タウトとともに高崎の工芸運動を推進し、戦後はアントニン&ノエミ・レーモンド夫妻と協力して、群馬音楽センターを実現しました。
さらに井上は、70年大阪万博の設計にも参加した建築家・磯崎新に群馬県立近代美術館(1974年竣工)を依頼し、高崎哲学堂の構想をともに練り上げました。急速に変化する都市と社会の中で、芸術と人間の共生を模索したその姿勢は、60年代後半に行われた「デザイン・サーヴェイ」へとつながっていきます。
レーモンド設計による群馬音楽センター(1961年竣工)は、DOCOMOMO Japanの「日本の近代建築20選」にも選ばれた名建築。ホール内部を描いた透視図には、11枚の薄い折板が織りなす鉄筋コンクリート構造の美しさが示されています。さらに本章では立原道造の未完の夢を受け継ぐように、彼とゆかりの深い建築家・大江宏の建築も紹介されます。
