歌舞伎町「決闘」で死亡させた容疑で逮捕、明治時代の法律「決闘罪」とは? 弁護士が解説

歌舞伎町「決闘」で死亡させた容疑で逮捕、明治時代の法律「決闘罪」とは? 弁護士が解説

●決闘の結果、死亡した場合はどうなるのか?

今回の逮捕容疑は「傷害致死」と「決闘罪ニ関スル件違反」の両方となっています。

決闘の結果、人が死傷した場合、判例は決闘罪と傷害罪(傷害致死罪を含む)の両方が成立するという立場をとっています(最高裁昭和23年(1948年)3月16日判決など)。つまり、一つの行為(決闘により相手を死傷させる行為)が、決闘罪と傷害致死罪の両方に該当する、ということです。

なぜ両方の罪が成立するのでしょうか。これは、決闘罪と傷害罪では、保護しようとしている利益(法益)が異なるためと考えられています。

傷害罪は個人の身体を保護する犯罪ですが、決闘罪はこれに加えて、社会の平穏や秩序を保護する犯罪でもあります。事前に合意した計画的な暴力の応酬は、単に個人の身体を侵害するだけでなく、社会全体の秩序を乱す行為として、別個に処罰する必要があるということでしょう。

このように一つの行為が二つの罪に該当する場合を「観念的競合(かんねんてききょうごう)」といいます(刑法54条1項前段)。観念的競合の場合、最も重い刑により処断されることになります。

今回のケースでは、決闘罪(2年以上5年以下の拘禁刑)と傷害致死罪(刑法205条、3年以上の有期拘禁刑)が観念的競合の関係に立ち、より重い傷害致死罪の刑により処断されることになると考えられます。

警視庁によれば、被疑者が被害者を「投げ飛ばすなどの暴行」により硬膜下血腫等の傷害を負わせ、その結果として多臓器不全で死亡させた疑いがもたれており、傷害致死罪が成立する可能性は高いといえます。

なお、決闘罪ニ関スル件3条は「決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ刑法ノ各本条ニ照シテ処断ス」と定めていますが、判例によれば、この規定は傷害罪と決闘罪が吸収関係にないことを前提としたものであり、現在もその関係に変わりはないため、途中の理屈はどうあれ、結局傷害致死罪一罪で処断されることになります(大審院昭和6年(1931年)7月31日判決)。

●なぜ明治時代の法律が今も残っているのか?

決闘罪ニ関スル件は、明治22年(1889年)に制定された130年以上前の法律です。「決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ」といった文語体・カタカナ交じりの文章が、ほぼ制定当時のまま残っています。

現代では決闘が行われることは稀ですが、なぜ今も残っているのでしょうか。

実は、明治時代に制定された法律が現在も使われていることは、それほど珍しくありません。私たちが日常的に耳にする刑法(明治40年(1907年))や民法(明治29年(1896年))も、明治時代に制定された法律がベースです。

また、爆発物取締罰則(明治17年(1884年))や通貨及証券模造取締法(明治28年(1895年))などは、決闘罪と同様に文語体・カタカナ交じりのままであり、現在も残っています。

この法律が制定された背景ですが、参議院法制局の公式サイトに面白い記述があるので、以下引用します。

「この法律が制定される前の旧刑法(明治15年施行)には、決闘罪の規定は設けられていませんでした。しかし、明治21年に、当時新聞記者であった犬養毅氏に対し決闘が申し込まれ、犬養氏が拒絶するという事件が報道され話題となり、この事件に触発されたと思われる決闘申込事件が続出しました。また、決闘の是非についての論議が盛り上がり、中には「決闘は文明の華」であるとする無罪説もあったようです。そのようなことから、西欧型の決闘の風習が我が国に伝わるおそれのあることが考慮され、翌明治22年に特別法として「決闘罪ニ関スル件」が制定されたといわれています。」

決闘罪が今も残っている理由は、この犯罪が単に個人の身体だけでなく、社会の平穏や秩序をも保護する犯罪だからです。事前に合意した計画的な暴力の応酬は、「暴力によって物事を解決する」という風潮を社会に広め、偶発的な喧嘩よりも社会秩序を乱す危険性が高いということでしょう。

現代でも、今回のように「タイマン」などと称して、事前に合意した上で暴行を行うケースに適用されることがあります。SNSなどで呼び出して決闘を行うような行為は、まさに社会の秩序を乱す行為として、決闘罪により処罰されることになるのです。

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