乳がんになり乳房全摘術を経験した石川由里子さん。最初は良性腫瘍と判定されたものの、浸出液の出現や自分の違和感を信じて行動した結果、乳がんの発見につながったと言います。石川さんの談話から乳がん検診の重要性、がん治療の実際、早期発見に何が重要になるのかを知る機会にしましょう。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年2月取材。
体験者プロフィール:
石川 由里子
40代女性。2023年12月に乳がん検診で要検査となり、翌年1月に大学病院を受診したところ左乳房腫瘍が見つかり、細胞診検査を実施した。このとき、検査結果は「良性」だったが、経過観察で同年6月に超音波検査をおこなったところ、腫瘍が2倍まで大きくなっていた。不安を抱えながら過ごしていると、7月頃に左乳頭から黄色い透明な分泌物が出始めた。8月に針生検を希望し、良性だと思われていた腫瘍が「悪性」であり、全摘術が必要との告知を受けた。10月に手術をおこない、ホルモン療法をおこないながら経過観察を続けている。
「良性腫瘍」のはずなのに急速な増大と浸出液に不安を感じた
編集部
最初に石川さんの闘病体験を通して、読者に最も伝えたいことは何でしょうか?
石川さん
たとえ乳がん検診を受けて要検査になっても、運が悪いと悪性でも良性と診断されてしまいます。これは誤診ではなく、がんは隠れるのがうまいと言われています。私の場合もきっとそのせいで、なかなか気付けなかったのでしょう。最初に「良性」と言われたとき、「早い段階でセカンドオピニオンを受けていれば、ステージ0だったかもしれない……」と今では後悔しています。ですから、乳がん検診を受ける人や要検査と指摘された人は、自分の不安や直感を大事にしてほしいです。信じられるのは、体のことを一番わかっている自分自身です。
編集部
それでは、今の治療の状況や体調について教えていただけますか?
石川さん
(24年)10月に乳房全摘術+乳房再建術をおこないました。センチネルリンパ節への転移はなく、ステージ1でした。私のがんは浸潤がんで、ホルモン受容体・HER2たんぱくともに陽性、Ki67は20%でした。幸いホルモン療法が効くタイプだったため、タモキシフェンによるホルモン療法をおこない、リハビリテーションをして過ごしています。ただし、タモキシフェンの副作用で酷い関節痛と全身倦怠感、精神的には抑うつ状態が続いており、決して万全の体調とは言い難いです。
編集部
病気が判明するまでの経緯についても教えていただけますか?
石川さん
もともとは2023年12月の乳がん検診で「要検査」となったことが始まりです。大学病院で超音波検査と細胞診を受け、そこでは「良性の腫瘍」との結果が出ました。経過観察のため6月に検査予約を入れていたのですが、その検査で腫瘍が2倍の大きさになっており、不安が強くなりました。そして7月、風呂上がりに左の乳頭から透明な黄色い液体が出たのです。このときはパニックになりながら、次の日に乳腺科を予約しました。
編集部
不安になるお気持ちも理解できます。
石川さん
医師からは「良性の腫瘍でも分泌物があることがあります。このまま経過観察でも大丈夫です。もし、不安なら針生検しますか? 痛い検査ですが決めてください」と話があり、私は不安だったので検査をお願いしました。そして8月に針生検をおこなったところ、医師から「結果はがんでした。乳腺に広がっているため、全摘出する必要があります」と告げられました。私は「あれだけ良性と言われていたから、良性で診察も終わるだろう」と考えていただけに、ショックで呆然としました。
編集部
医師からはどのように治療を進めるとの説明があったのでしょうか?
石川さん
まずは、手術で左乳房を全摘すると説明されました。それから、その日のうちに手術適応か調べるためにあらゆる検査を受けました。手術前の時点でステージ0だったため、全摘後は普通に生活できるという説明でした。
編集部
当時の心境を思い出せる範囲で教えていただけますか?
石川さん
私は一生外科や手術とは無縁だと思っていました。もともと内科の持病はあったので、何度も入院経験はありましたが、外科は一度も無かったので安心しきっていました。そんな私ががんになるなんて思ってもみなかったです。がん家系でもなかったので、それはもう驚いて、告知を受けたときは頭が真っ白になり、無の状態になりました。悲しんだり、泣いたりしなかったのは、すぐには受け入れられなかったからだと思います。
医師の言葉や友人との会話を通じて前向きさを取り戻した
編集部
乳がんであることを宣告されてから、生活や心境にどのような変化がありましたか?
石川さん
私よりも母のショックが大きく、YouTubeを見てはがんによい食材、食事を探して取り入れていました。最近、乳がんは比較的生存率の高いがんになりつつあると知っていましたが、身近な友達のお母さんが乳がんで亡くなっているのを知っていたため、少なからず死を感じるようになりました。また、乳がんは再発率が高いがんなので、少しでも体調に変化があると、「転移したのでは……?」と不安になっていました。ですが、麻酔科医の先輩と話しているうちに「いくら身体に気を配っていても再発するときはする。治療法が無くなれば死ぬときは死ぬ」と思うようになりました。
編集部
それがポジティブに働いた?
石川さん
はい。そう思ったら、気分が晴れ晴れとしてきて、不謹慎かもしれませんが「人はやがて死を迎える。早いか遅いかの違い。楽しいことをたくさんして、いい人生だったと思えればいいや……」と考えられるようになりました。それからはもともとの趣味だったヴァイオリンや海外旅行にも積極的になれてきました。
編集部
石川さんが治療中に心の支えにしていたものはありますか?
石川さん
治療中、特につらかったのは入院中でしたが、心の支えは友人の存在でした。私は手術にあたって3週間入院しましたが、その間、常に痛みや不快感がありました。気を紛らわすためにテレビやYouTube、ネットフリックスなどを観て過ごしていました。娯楽こそそれなりにありましたが、それでも入院生活はずっと孤独感との闘いでした。そんな中、1番元気付けられたのは、友人のお見舞いと、遠方に住む友人とのビデオ通話です。アイルランドとイギリスに住む友人と深夜にビデオ通話したのは、本当に楽しかったです。遠く離れていても私のことを心配し、話に付き合ってくれる友人がいる私は恵まれていると感じました。
編集部
病気がわかる前の自分にメッセージができるなら、何を伝えたいですか?
石川さん
「ショックで呆然とするとは思いますが、あなたは将来、乳がんになるよ」と伝えたいです。それがきっかけで生活習慣を真剣に見直すことになるでしょうし、乳がんを回避できたかもしれません。それこそ乳房全摘も必要なくなると思います。
※この記事はメディカルドックにて《【闘病】検査で”良性”だったはずなのに… 「乳がん」に奪われた肉体の一部と日常生活》と題して公開した記事を再編集して配信しており、内容はその取材時のものです。
なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

