
久米宏さんが肺がんのため1月1日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。所属事務所「オフィス・トゥ・ワン」が13日、公式に発表した。通夜および葬儀は近親者のみで執り行われたという。
久米さんは早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後にTBSに入社。1975年10月スタートのクイズ番組「ぴったしカン・カン」(TBS系)での立て板に水のような名司会ぶりとさわやかなルックスで一躍人気者に。この番組で、久米さんがクイズ出題時に、伏字として読めない部分を「ほにゃらら」と表現したことをきっかけに、読めない言葉や言えない言葉を「ほにゃらら」と表現する人が急増し、現在は「定着した」と言っていいだろう。
1978年1月スタートの生放送音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系)では黒柳徹子と2人で司会進行役を務め、数々の伝説を残したと言っていいだろう。
ちなみに、1970年10月からスタートしたラジオ番組「それ行け!歌謡曲」(TBSラジオ)の1コーナーである「ミュージックキャラバン」では、若手アナウンサーだった久米さんとシャンソン歌手だった平野レミがMCとアシスタントを務めていた。平野は当時から自由奔放だったため「不適切な発言」をして、久米さんからマイクで頭を叩かれ、足を蹴られて黙らされたこともあり、久米さんはその当時から平野のことを「歩く放送事故」と言い、恐れていたという。久米さんは、平野と結婚したイラストレーターの和田誠さんとマージャン仲間だったことから、当時、平野のことが気になっていた和田さんから「平野を紹介してほしい」と依頼されたのだが、「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を
棒に振りますよ」と本気で断ったというエピソードも有名なようだ。
1979年6月にTBSを退社した久米さんはフリーアナウンサーとなり、1985年10月スタートの生放送ニュース番組「ニュースステーション」(テレビ朝日系)のMCに就任。これまでの「堅苦しいニュース番組」を改革し、「中学生でもわかるニュース」をコンセプトに、フランクで堅苦しくない、新しいニュース番組の形態を作った。
2004年3月26日生放送で最終回となった「ニュースステーション」では、久米さんが「これ、僕のご褒美です」と瓶ビールの栓を開け、「みなさん、近くに飲み物ある方、乾杯しません?テレビ見てる方」と言いながらグラスにビールを注ぎ、「お酒ダメですよ。仕事がある方、運転する方、お茶とか水とかにしてくださいね。あ、いつも番組の最後のほうにやってます。予告編です」と言って右腕を差し出し、「じゃ、乾杯!」とその場で立った状態でグラスのビールを一気飲み。スタジオから拍手が起きると「本当にお別れです。さよなら」と右手を2回振って幕を下したことは、今や伝説になっている。
久米さんの妻である麗子さんは夫の死去に対し「久米は、最後まで“らしさ”を通したと思います。大好きなサイダーを一気に飲んだ後、旅立ちました。まるで『ニュースステーション』の最終回でビールを飲み干したあの時のように」と追悼コメントを寄せている。「自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います」とのことだが、どうか空の上から、今後の報道番組がおかしな方向に行きそうになったら、雷を落としてほしい。それだけはお願いしたい。
ご冥福をお祈りします。
(森山いま)
