歴史画に描かれたアントワネットの最期
ジャック=オーギュスタン・パジュー『マリー・アントワネット、家族から引き離される』, Public domain, via Wikimedia Commons.
ジャック=オーギュスタン・パジューの『マリー・アントワネット、家族から引き離される』という歴史画では、アントワネットが娘のマリー・テレーズ、国王の妹エリザベート夫人と引き離され、移送される場面が描かれています。
アントワネットの侍女であったロザリーの回想録では、極刑が決まったあとのアントワネットは何も口にしなかったと言います。ルイ16世の処刑後は喪服を身にまとっていたアントワネットでしたが、自身の処刑執行の際にはその格好すら禁じられてしまったのです。
ちなみに、エリザベート夫人はアントワネットの死から7ヶ月後に処刑されています。マリー・テレーズの方は、フランス革命で唯一生き残った王族となりましたが、世界情勢に振り回され続け、亡命を繰り返す人生となりました。
著者不明『1793年、革命広場でのマリー・アントワネットの処刑』, Public domain, via Wikimedia Commons.
やがて1793年10月16日、アントワネットの処刑が実行されました。
死刑執行人によって後ろ手に縛られ、髪を切られたアントワネットは、王族を運ぶ馬車ではなく荷車に乗せられて処刑場に向かいました。処刑場となるコンコルド広場では、多くの民衆が彼女を罵倒したものの、アントワネットは背筋を伸ばしたまま毅然としていたといいます。
処刑台に上る際、アントワネットはうっかりして死刑執行人の足を踏んでしまいました。その際、即座に謝罪の言葉を口にした、という記録が残っています。
そしてそれは、彼女の最期の言葉となったのでした。
まとめ
華やかなフランスの宮廷から、ギロチン台へと送られたマリー・アントワネット。
その美しさで人々を魅了し、ファッションリーダーとしての顔を持っていた一方、常にスキャンダルの的となった彼女は、現代も私たちを強く惹きつけています。
わずか14歳で政略結婚という運命を背負い、母親になってからも世間の厳しい目にさらされ続けたアントワネットは、どれほど屈辱的な状況に置かれても、最期の瞬間まで気高さを失いませんでした。
ただ美しいだけではなく、悲劇的な運命の中でも気高く生きた彼女の姿に、今もなお多くの人が惹きつけられる理由があるのかもしれません。
参考書籍一覧:
・『王妃マリー・アントワネット』著:エヴリーヌ・ルヴェ、監修:塚本哲也、訳:遠藤ゆかり(創元社)
・『マリー・アントワネット 華麗な遺産がかたる王妃の生涯』著:エレーヌ・ドラクレス、アレクサンドル・マラル、ニコラ・ミノヴァノヴィチ、訳:宮澤雅利(原書房)
・『マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』著:石井美樹子(河出書房新社)
・『マリー・アントワネットの衣裳部屋』著:内山理奈(平凡社)
