●後輩たちは「ニュースは偉くない」を誤解していないか
しかし、残念なことに、業界の後輩たちは、この言葉を誤って解釈して変な方向に走っているように見える。
「ニュース番組はなんでもやっていい」「特別ではない」という方法論だけが独り歩きし、「何を伝えるべきか」という核心が置き去りにされているような気がしてならない。
テレビ業界が不況で右肩下がりになる中で、「視聴率を稼げるか」「売り上げにつながるか」だけを目的として、「面白くわかりやすいニュース」が量産されているように感じる。
「ニュース番組は偉くない」というのは、本来、「考えるための材料は提供するけれども、結論は押し付けない」という姿勢を意味していたはずだ。考えるのは視聴者自身であってほしい──久米さんはそうした基本姿勢を貫いていたのではないか。
●報ステが「久米宏さん一色」にしたことの矛盾
ところが、今のテレビニュースは、「世間が興味を示しそうなことばかりを大きく報じて、興味を示さなそうなことは取り上げない」という方向へどんどん突き進みつつある。考えるための基礎情報が十分に提供されているとは言い難い。
1月13日の『報道ステーション』が、久米宏さん一色の内容になったことは、まさにこの「悪い流れ」を象徴しているのではないだろうか。
一方向に世論が流れていくことを久米さんは何よりも恐れていた。その久米さんの訃報をきっかけに、久米さん自身が嫌がったであろうことをしてしまったのは、やはり残念だ。
こんなに多くの大切なニュースが起きている中で、訃報を大きく扱う『ステーション』を久米宏はどう見ただろうか。
テレビ朝日には、久米宏さんに強い思い入れを持つ人が多い。だが、だからこそやるべきことは「大々的な追悼番組」を作ることではないはずだ。
久米さんがそうしてきたように、冷静に「今、伝えるべきものは何か」を考えて、そのための「最良の作戦」を選び、実行すること──それこそが最大の追悼ではないか。
社員食堂で、一人静かに物思いに耽っていた久米さんの姿を思い浮かべながら、僕はそんなことを考えてしまう。

