“国民的善人”という檻。過去の事件が残した副作用
それを解く鍵は、例のフワちゃん事件にあります。あの一件を経て、フワちゃんが活動を休止する一方で、やす子は期せずして“いい人”という立ち位置に固定化されることになりました。一人の人間として考えた場合には、やす子の“勝利”でした。その後『24時間テレビ』でマラソンランナーを務めたことで、彼女は完全に国民的な善人というポジションを獲得しました。この投稿をInstagramで見る
しかし、芸人として考えたらどうでしょうか。“いい人”のまま、テレビの求める笑いを生み続けることは、相当に苦しい。この一連の経緯から、猪狩イジりと仮装大賞でのぶっちゃけを振り返ると、それが“善人キャラの否定”であることが読み取れます。
いい人のまま芸人としてやっていくことは不可能なのだから、無理にでもシフトチェンジをしなければならない。その手っ取り早い方法の一つが、わかりやすい毒舌だったのではないでしょうか。
芸人としての「脱皮」と、世間のイメージに生じた温度差
しかしながら、まだ普通の視聴者はやす子を“いい人”のカテゴリーで見ています。つまり、やす子が自身のキャラとキャリアを客観的に見ている、いまの時間軸からは遅れたところで、かつての「やす子」を消費している段階なのです。だから、今回の炎上はやす子も視聴者も悪くありません。タレントと視聴者の間で、不幸なミスマッチが起きてしまっただけなのです。
では、今後やす子の毒舌芸は受け入れられるのでしょうか。ここまで反感を買ってしまった新展開に勝算はあるのでしょうか。ひょっとすると、やす子に必要なのは、無理にキャラを変えようとせず、自然な自分と世間のイメージがゆっくりと重なり合うのを待つことなのかもしれません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

