●「正義の鉄槌」は長続きしない
もちろん、いじめや暴力を糾弾する「正義の鉄槌」はうつろいやすい。別の話題が出れば関心は移り、次の標的へと向かっていく。いじめ問題も、忘れられては、また別の事件で注目を集める──。その繰り返しだ。
その場限りの炎上に委ねていては、本質的な問題は解決されない。だからこそ、「次の波」を待つのではなく、いまのうちに制度や運用を見直しておく必要がある。
●告発の原点は「遺書」、1980年代のいじめ自殺
そもそも当事者の発信によって、社会が動くという構図は、動画やSNSが登場する前から存在していた。1980〜90年代、いじめの告発手段の主流は「遺書」だった。
「ウソをついてごめんなさい。…もういじめないでね」(1985年、水戸市・女子中学生)
「楽しい夏休みを有難う。でも、どうしても学校にはいきたくありません。私なんかいない方がいいと思います」(1985年、滝沢村・女子中学生)
「いじめられた。くやしい、みんなをのろってやる。死にます」(1986年、神戸市・女子中学生)
児童生徒の自殺が増加傾向にあることを受け、警察庁は1985年、いじめを次のように定義した
「単独又は複数の特定人に対し,身体に対する物理的攻撃又は言動による脅し、いやがらせ、無視等の心理的圧迫を反覆継続して加えることにより、苦痛を与えること(ただし,番長グループや暴走族同士による対立抗争事案を除く)」
翌1986年2月、東京都中野区で起きた「葬式ごっこ」を受けた男子中学生の自殺は、いじめ問題を象徴する事件として今も語られている。
教員も関与し、遺書には「このままじゃ、『生きジゴク』になっちゃうよ」などと記されていた。
この事件のあった年度から、文部省(当時)は「問題行動調査」にいじめを加えるようになった。

