●動画が「大人の世界」も揺さぶったケース
動画が社会を動かした例は、子どもに限らない。
2019年、神戸市立東須磨小学校で起きた教員間のいじめでは、激辛カレーの強要や暴行の様子がネットに流出し、加害教員は懲戒免職などの処分を受けた。
一方、対応にあたった市教委職員が過重労働の末に自殺するという悲劇も起きた。社会にとって、必ずしも良い方向だけに広がらない現実を示している。
動画がなくても、当事者発信によって炎上したケースもある。
2025年、私立広陵高校野球部の暴行疑惑は、保護者とみられる投稿から拡散し、最終的に夏の甲子園出場校が大会途中で辞退する異例の事態にまで発展した。
●暴露時代、ネットに出れば動かざるを得ない
繰り返しになるが、ネットに公開されれば、学校や行政が対応に追い込まれる時代に突入した。
栃木県や大分県の暴行動画、熊本県の事件も同様に、暴露系インフルエンサーの発信や、署名サイトと連動して拡散した。冬休み明け、「ネットに出す前に相談を」と訓示した学校もあると聞く。
しかし、公開を抑止する前提の対応は、もはや現実的ではない。かといって、前後関係があやふやな切り抜き動画を鵜呑みにするのも危険だ。
ただし、学校や行政の「動画がなければ動かない」という姿勢そのものが、告発を過激化させている側面もある。この点は改める必要がある。
●動画時代が突きつけた問い
現在の制度には、以前から限界があった。
保育園や幼稚園、こども園は法律の対象外になりがちだ。高専の場合も同じで、学校が「いじめ」と認知しなければ動かない。
相談しても「トラブル」「プロレスごっこ」と扱われ、「いじめ」と認定されなかったり、重大事態調査がされないなど十分に対応されないこともある。報告書が出ても、因果関係が否定され、納得しない被害者または家族が希望しても再調査されない例も少なくない。
こうした問題は、すでに積み重なっていた。動画時代の到来は、それを一気に可視化したにすぎない。
いま求められているのは、部分的な対処ではなく、制度そのものを見直す覚悟だろう。改善か、あるいはまったく新しい仕組みか──。その選択を先送りできるタイミングは、すでに過ぎている。

