最期の3週間が「かけがえのない宝物」に
編集部
病院での最期の3週間が「かけがえのない宝物」になったそうですね。
轟さん
家にいたら、食事から洗濯、高カロリー輸液の交換まで、医療者でもないのに全部背負っていました。それから解放されて、本当に会話する時間が増えたんです。死期が迫っていることはお互いにわかっていました。だからこそ、子どもも含めて、その後の私たちの人生の礎となるような本質的な会話ができた。この3週間があったから、その後を生きていけたと思っています。
編集部
哲也さんが最期に「出会えてよかった」と言われたそうですね。その言葉をどう受け止めていますか?
轟さん
ありがたいと思っています。実はその前に、ある先生から夫への伝言がありました。「自分は親に『あなたの子供でよかった』と言えなかった。先に旅立つなら、ちゃんと言葉を残した方がいい」と。それを伝えていたので、夫の最期は母への感謝の言葉でした。その流れで、私にも言ってくれたのだと思います。「ちゃんと言葉で表さないとダメだ」ということを、夫も認識していたのでしょう。嘘じゃないと思いますけど、私のために残してくれた言葉だと受け止めています。
編集部
哲也さんを亡くされた後、どのように生きようと思われましたか?
轟さん
夫が亡くなった直後、「あなたの居場所のために患者会を作った」「夫の遺志を継ぐんですね」とよく言われましたが、違うんです。これは私の意思なんです。告知の瞬間から家族として衝撃を受け、私の立場で感じてきたことがある。夫がいなくなって語り部として語るのではなく、私自身のこととしてやらないといけない。その意識が、夫を亡くした直後にはっきりと芽生えました。轟哲也の妻であることは変わりませんが、妻として生きるのではなく、轟浩美として、「私がそう思うからやっている」という姿勢でなければ続かない。そう思わないと、きっとやれなかったと思います。
編集部まとめ
「後悔している」と率直に語る轟さんの言葉には、同じ立場の家族へ届けたいという強い思いがにじんでいた。民間療法への傾倒、在宅ケアの限界、そして「家で看取る」という約束を守れなかった葛藤——すべての経験を隠さず語ることで、今まさに迷いの中にいる誰かの道標になろうとしている。「夫の遺志を継ぐ」のではなく「轟浩美として生きる」という決意。その姿勢こそが、10年以上にわたる活動を支えてきた原動力なのだろう。

