●法令の適用に関する判断
弁護人は、判示第4の1及び第5の1の拳銃等の発射罪が成立すると判断される場合は、判示第4の2及び第5の2の拳銃等の加重所持行為(拳銃等を適合する実包等と共に携帯、保管等して所持する行為)は、発射罪と同じ日時場所におけるものであるから、発射罪に吸収され、拳銃等の加重所持罪は成立しないと主張している。
しかし、拳銃等の加重所持罪においては、危険物である拳銃等と適合実包等が共に行為者の実力支配下に置かれることで、直ちに発射される可能性があるほか、これらが移動、流通するなどしてその危険が移転する可能性があり、これらの社会的危険の発生を防止するため、加重所持を処罰の対象としたと考えられる。
そのため、加重所持罪の趣旨や保護法益は発射罪と完全に同一ではなく、加重所持罪が発射罪に吸収される関係にあるとはいえない。
また、両者の罪の行為態様をみても、拳銃等を発射するという行為と、拳銃等と適合実包等を所持している(実力支配下に置いている)という行為は、これらが同じ日時場所で行われていても、別々の行為というべきである。
したがって、拳銃等の加重所持罪は発射罪に吸収されることはなく、両罪が成立し、併合罪を構成するというべきである。
●量刑の理由(要旨)
第1 はじめに
本件の量刑の理由を述べるに際し、まず、量刑判断の中心となる判示第5の1、2に係る事件(以下「西大寺事件」という)について検討し、続いてその他の各公訴事実について検討する。
次に、被告人が本件各犯行に至った動機及び経緯について検討し、さらにその他の情状関係事実について検討する。そして最後に、主文記載の量刑を決定した理由について述べる。
第2 西大寺事件について
1 西大寺事件について、当公判廷で取り調べられた証拠から認められる事実は以下のとおりである(以下「被害者」とは、西大寺事件の被害者を指す)。
(1) 殺人及び銃刀法違反(拳銃等発射)の状況等について
ア 西大寺事件の犯行現場(判示第5の1記載の複合施設東側路上。以下、第2において「本件犯行現場」という)は、東西に延びる道路と北側に延びる道路との三叉路交差点に設けられたゼブラゾーン付近である。
本件犯行現場の北側直近には、東西にかけて横断歩道が設置されているほか、北向きに市道が走っている。
また、同市道の西側には、街路樹を挟んで歩道があり、同歩道に沿って上記複合施設等が隣接している。
さらに、同市道の東側にも、街路樹を挟んで歩道があり、同歩道に沿って銀行や商業施設が建ち並んでいる。本件犯行現場の南側には、F駅が存在しており、同駅前にはバスやタクシーの乗降場であるロータリーが設けられている。
イ 衆議院議員(元内閣総理大臣)であった被害者は、令和4年7月8日、第26回参議院議員通常選挙の応援演説のため、本件犯行現場を訪れた。
被害者は、同日午前11時28分頃、本件犯行現場に設置されたお立ち台に登壇し、北側方面を向いて演説を開始した。
ウ 被告人は、手製2銃身パイプ銃を黒色ショルダーバッグに入れて持参し、本件犯行現場の南側に存在するバス停付近から、被害者の様子や本件犯行現場付近の状況等をうかがっていた。
なお、同銃は散弾を発射し得る銃であり、被告人は、2つの銃身に、散弾2発(1発あたりの金属性弾丸数は6個)や火薬等を装填していた。
また、その威力は、弾丸エネルギーにして平均200ジュールパー平方センチメートル以上であって、発射地点の4メートル先に設置した厚さ4ミリメートルのベニヤ板を少なくとも4枚貫通するものであることなどが、後日の発射実験等で確認されている。
エ 被告人は、同日午前11時31分頃、同バス停付近から、本件犯行現場南側の東西に延びる道路上に移動すると、被害者から約6.9メートルの地点において、同人の上半身付近を狙って、その背後から散弾1発を発射した。
被害者は、背後からの爆発音に反応し、反時計回りに体をやや回転させて周囲を確認するなどしたことで、体の正面が西側を向いた体勢(被害者の左半身が被告人側に向いた状態)となった。
被告人は、1射目の発射から数秒後、被害者から約5.3メートルの地点において、同人に対して、さらに散弾1発を発射した。
オ 被告人が発射した各散弾内の弾丸のうち、2発が被害者の体内に侵入した。そのうち1発は、被害者の左上腕部から体内に侵入すると、左大胸筋を貫き、左右鎖骨下動脈を損傷した上で、右胸腔内に至った。
また、他の1発は、被害者の右前頚部から体内に侵入すると、右大胸筋を通って右上腕骨へ至り、同骨を骨折させた。
なお、被害者は、被告人による銃撃から約5時間30分後に死亡が確認されたが、搬送先の病院での処置の状況等に鑑みると、銃撃直後には非常に重篤でほぼ即死に近いような状態に至っていたことがうかがわれる。
(2) 本件犯行現場の周囲の状況等について
ア 本件犯行当時、本件犯行現場付近の北東側歩道上及び北西側歩道上には、合計約300人の聴衆が詰めかけていた。
また、被害者が登壇したお立ち台付近には、被害者から1メートルもない距離にいた参議院議員候補者(応援演説の対象者)を含め、奈良市長、国会議員及び地方議員等の選挙関係者並びに警護員が複数名いる状況であった。
イ 被告人が発射した弾丸のうちの一部(弾丸と判断されるもののほか、その可能性が高いものを含む)や弾丸が当たったと考えられる痕跡が、以下のとおり、本件犯行現場の北側方面において、それぞれ後日に発見された。
被告人が発射した1射目の散弾内の弾丸6発は、いずれも被害者には命中しなかった。もっとも、そのうち2発は本件犯行現場の北側直近の横断歩道付近(被害者の登壇したお立ち台から見て北側正面付近)に設置された赤色のぼり旗を貫通した。
その他、1発は本件犯行現場の北側道路に駐車されていた街宣車(1射目の発射位置から約28.6メートル、2射目の発射位置から約27.1 メートルの位置)の上部に設置されたアルミ製照明カバーを貫通し、1発は各発射位置から約90メートル以上離れた上記複合施設の駐車場エレベーター建物のALC(軽量気泡コンクリート) 製の外壁にめり込んだ。
また、2射目の散弾内の弾丸6発のうち、2発は上記のとおり被害者の体内にそれぞれ侵入しているが、このほか、残る4発の弾丸は、被害者の身体を擦過したり被害者の衆議院議員記章を損壊したりした上、被害者の後方(北側方面)に飛び、上記赤色のぼり旗付近に設置されたオレンジ色のぼり旗を貫通し、うち2発が上記街宣車のアルミ製看板を貫通した。

2 以上の事実等を踏まえて、検討する。
(1) 殺人の点について
ア 被告人は、本件犯行現場付近において、犯行の機会をうかがう中で、意を決して被害者の至近距離に自ら近づくと、同人の背後から、身体の枢要部である上半身を狙って、散弾銃である手製2銃身パイプ銃を2回にわたり発射したと認められる。
銃器を用いて、被害者の隙を狙い、背後から被害者を襲撃するなどした犯行態様は卑劣であって、極めて悪質というべきである。
イ また、後日実施された実験結果等に照らせば、同銃の威力は、弾丸エネルギーにして、殺傷能力を有する基準となる20ジュールパー平方センチメートル(厚さ4ミリのベニヤ板を2枚貫通させるものとされている)を大幅に超えるものであり、十分な殺傷能力を有していたことが認められる。
現に、被害者は、被弾直後から非常に重篤な状態に至るほどの致命傷を負っていたことがうかがわれる上に、被害者の体内に侵入した弾丸のうち1個は、人体の骨の中でも相当硬い部類に入る右上腕骨にめり込み、同骨を骨折させていると認められるのであって、このような状況を引き起こさせるほど、同銃の威力は大きいものであったといえる。
また、被告人が発射した複数の弾丸が、街宣車のアルミ製看板や照明カバーを貫通したり、相当離れた位置にある建物壁面にめり込んだりしたことも、同銃の威力の大きさをうかがわせる事情と認められる。
ウ これに対して、被告人は、当公判廷において、手製2銃身パイプ銃を含む各手製銃の威力は、一般的なあるいは市販の拳銃等に比べて相当低く、被害者に命中した場合でも必ずしも命を落とす危険性は高くないと考えていた旨供述している。
しかしながら、これまでに検討した事情等に照らせば、上記各手製銃の威力は、客観的には工業製品としての拳銃と同等程度の威力を有していたと評価できるのであって、その危険性はいずれも極めて高いものであったというべきである。
また、上記各手製銃の試射実験や改良行為等を繰り返し、至近距離からであれば20ないし30ミリメートルの厚さの合板を貫通できると認識しており、西大寺事件で用いた手製2銃身パイプ銃も同様であった旨の被告人の供述内容のほか、試射状況を撮影した動画の内容等も考慮すれば、被告人としては、工業製品等に比べて能力が不十分だと思っていたのだとしても、上記各手製銃が高い威力や殺傷能力を持つことを基礎づける事実を十分に認識していたというべきである。
エ そして、西大寺事件の犯行によって、被害者が死亡し、その生命が奪われたという結果はいうまでもなく重大である。
また、被害者の妻が、突然に被害者の死に接することを余儀なくされ、現在も夫を亡くした大きな喪失感を抱えている旨述べることについても、理解ができるものといえる。
(2) 拳銃等の発射及び所持の点について
ア 被告人は、約300人もの大勢の聴衆が密集し、複数の関係者らも被害者の周辺にいる本件犯行現場において、散弾銃である手製2銃身パイプ銃を使用して、2回にわたって複数の弾丸を発射し、また、その際、同パイプ銃を弾丸等と共に所持した。
同銃の威力の大きさや、商業施設等が周囲に建ち並ぶ本件犯行現場付近の状況等も考慮すると、西大寺事件の犯行は、公共の静穏や安全を大きく脅かすものであって、極めて危険で悪質な犯行であることは明らかというべきである。
現に、被告人が発射した弾丸は本件犯行現場周辺の広範囲の場所に着弾していることが認められ、一部の弾丸の軌道はALC(軽量気泡コンクリート)製の外壁にめり込むほどの相当な威力を持ったまま、被告人の発射位置からかなり離れたところに飛んでいることを示しているのであって、発射行為の危険性が広範囲に及んでいると認められる。
また、本件犯行現場の周辺は交通規制等もされておらず、弾丸が到達した街宣車付近にも人がいたことも認められ、被害者の付近にいた関係者らも含めて、被害者以外の人物に弾丸が当たる可能性は十分に想定される状況であったといえる。
また、西大寺事件の犯行直後の本件犯行現場は騒然となり、大きな混乱状況にあったこともうかがわれるのであって、周囲に居合わせた者らに強い恐怖を感じさせた点も軽視はできない。
イ これに対して、被告人は、当公判廷において、2回の発射行為は、いずれもお立ち台上の被害者の上半身を狙ったものであり、わずかながら撃ち上げになることや、その威力や弾丸の軌道の広がりなどから、被害者以外の人物に弾丸が当たることはないと考えていた旨供述している。
しかしながら、被告人の供述内容を前提としても、これまでに検討した諸事情等に照らせば、被告人や周囲の人物の動きなどのわずかな偶然の作用により、本件犯行現場付近に居合わせた被害者以外の人物が被弾した可能性は十分あったといえるから、上記アの危険性の評価は左右されない。
3 小括
以上を踏まえると、西大寺事件では、極めて危険で悪質性の高い犯行態様によっ て、被害者の生命が失われ、また、公共の静穏や安全も大きく侵害されたのであり、それにより生じた結果も極めて重大なものであるのは明白である。
第3 西大寺事件以外の事実について
1 西大寺事件以外の各犯行について、当公判廷で取り調べられた証拠から認められる事実は以下のとおりである。
(1)被告人は、宗教団体Gの幹部を襲撃するため、令和2年12月頃から、材料や道具を順次購入し、インターネットで手製銃の製作方法等を調べるなどして、当時の被告人方において、自宅で手製銃の製造を開始した(判示第1の犯行)。
また、被告人は、令和3年2月頃からは、黒色火薬の原料や道具を順次購入し、その製造のために奈良市内のアパートやガレージを借りるなどした上、黒色火薬の製造を開始した(判示第2の犯行)。
さらに、被告人は、令和3年12月頃から令和4年6月頃までの間、完成した各手製銃の一部について、その威力等を確認するために、奈良市内の山中にある資材置場においてこれらを試射して、火薬類を爆発させるなどした(判示第3の各犯行)。
(2) また、被告人は、後記第4のとおり、被害者を襲撃することを決意したところ、被害者の襲撃がGに対する怒りから生じた事件であることを示すために、西大寺事件前日の令和4年7月7日、Gの関係団体が入居する奈良市内のビルへ向けて、手製4銃身パイプ銃で散弾を1回発射し、同ビルを損壊する被害を生じさせるなどした(判示第4の各犯行)。
(3) そして、西大寺事件後の当時の被告人方の捜索差押手続において、被告人が製造した手製銃6丁及び黒色火薬を自宅で保管しているのが発見された(判示第6の各犯行)。
2 以上の事実等を踏まえて、検討する。
(1) 判示第1、第2、第3及び第6の各犯行についてみると、被告人は、長期間にわたって、銃身の長さ、太さ、素材及び数などについて試行錯誤を重ねながら、合計7丁の手製銃を製造した。
また、黒色火薬についても、製造方法について工夫を重ねるなどし、合計約2.2キログラムもの大量の黒色火薬を製造した。
そして、一部の手製銃については試射を繰り返したほか、その様子を動画で撮影したり、ベニヤ板に向けて発射させてその弾丸の貫通度合いを見ることでその威力を確認したりするなどし、銃の威力を高めるための行為にも及んでいた。
このように、被告人は各銃の威力の大きさを十分に認識した上で、確実に操作でき、高い殺傷能力を有する複数の手製銃等を作り出して保管等していたのであり、その結果は、西大寺事件における殺人及び発射行為の危険性を高めることにも繋がったと認められる。
また、最終的に標的を被害者に変更した時期は西大寺事件の直近頃であるが、標的として狙った人物を確実に殺害するための計画や準備は約1年半もの長期間にわたるもので、殺人行為を遂行するとの限度において、その計画性は極めて高い。
また、判示第1、第2、第3及び第6の各犯行は、それ自体をみても、危険性が高いものである。すなわち、各手製銃については、後日実施された実験結果等に照らせば、いずれも十分な殺傷能力を有するもので、各手製銃の製造や所持自体がそれぞれ一定の危険性を有する行為と認められる。
また、黒色火薬については、その所持量、被告人の生活状況や複数の場所で製造していたこと等に照らせば、その製造や所持の過程において、何らかの原因でこれらに引火して爆発した場合等に、これら現場周辺の住民等に被害が及んだ可能性は否定できない。
(2) さらに、判示第4の各犯行についてみると、拳銃等発射の点は、深夜とはいえ、付近に住宅等がある場所で、威力の大きい手製銃で弾丸数発が入った散弾1回を発射したもので、その危険性が低いとはいえず、他者に人身被害が生じていた可能性も完全には否定できない。
実際に、周辺住民は、今まで聞いたことがない爆発音により不安と恐怖を感じた旨供述しているほか、同ビルを損壊したことで、ビル所有者には約92万円の財産的損害も生じており、これらの事情も軽視はできない。
3 小括
上記事情等に鑑みると、西大寺事件以外の各犯行は、それぞれ固有の危険性や悪質性が認められるものであって、これらの事件が西大寺事件の危険性や悪質性を高めたことなどに照らしても、量刑評価に当たり、それぞれ相応に考慮されるべきである。
第4 本件各犯行に至った動機及び経緯について
1 被告人が本件各犯行に至った経緯等について、当公判廷において被告人及び関係者らが供述する事実関係は、以下のとおりである(以下「父」 「母」などの続柄の記載は、いずれも被告人から見た関係性を示す)。
これらの事実関係は特段争われておらず、他の証拠とも特に矛盾しないので、これらの事実関係を前提に本件の量刑を検討することになる。
(1) 被告人が幼少の頃、父が自殺し、母は身体に病気を抱えた兄にかかりきりであった。
母は、平成3年(1991年)頃、Gに入信し、父の生命保険金を原資に、翌年にかけて合計5000万円の献金を行った。
また、母は、Gに入信後、年に数回、韓国に渡航するようになった。この頃、被告人は、母方祖父、母、兄及び妹と共に生活していたところ、母のGへの入信が家族に発覚して以降、Gを信仰する母と、それに反対する祖父との間で、たびたび諍いが生じていた。
それでもさらに、母は、Gに対し、1000万円の献金をした。祖父は、平成10年(1998年)に病死した。母は、平成11年(1999年)頃、祖父の遺産であった不動産を売却するなどして、これを原資にGに合計4000万円の献金を行った。ただし、被告人を含む子らには、上記売却が献金のためとは知らされていなかった。
(2) 被告人は、平成11年(1999年)に高校を卒業した。また、被告人は、大学進学には至らず、就職することを決め、平成14年(2002年)頃には自衛隊に入隊し、実家を出た。母は、この頃、借金の返済等に窮して、破産手続をするに至った。
被告人は、平成17年(2005年)頃、自身が加入していた生命保険につき、自殺の場合の免責期間等を確認した上で、自殺を図った。
被告人は、一命を取りとめたものの、自衛隊を辞め、実家に戻り、母らとの同居を再開した。
被告人の自殺未遂を受けて、弁護士であった父方親族が母の献金問題の解決に取り組むなどした結果、母は、平成17年(2005年)頃以降、Gから合計約5000万円の返金を分割で受けることとなり、その支払いは約10年続いた。
被告人は、実家に戻った後、複数の資格取得に取り組むなどしていた中で、母から、祖父の遺産を献金のために売却したことを知らされた(被告人は、これを聞き、これまで自分がふがいないと思っていたことの原因が母のうそにあったと分かり、気が楽になった部分があったと述べている)。
その後、被告人は実家を出て、再度家族と別居し始めた。この頃から、Gからの返金の一部が、被告人にも支払われるようになった。
他方で、母と同居を続けていた兄は、Gを信仰する母に怒りを持ち、たびたび家庭内でトラブルを起こしており、母に対して時に暴力を振るうこともあった。
この頃、被告人は、母のGに対する信仰等を巡って、母、兄及び妹とメールで連絡を取り合うなどしていた。そのような中、兄は、平成27年(2015年)に自殺した。
被告人は、兄の死に強い衝撃を受けた。また、被告人は、兄の葬儀の際、Gの関係者が来てG式の儀式を行ったことに驚愕するなどした。
被告人は、兄の自死に対し自身の責任を感じ、再び家族を受取人として自身に生命保険をかけ、自殺することを考えた。また、被告人は、兄の死後から、母や妹と疎遠になっていった。
(3) Gは、同年、団体の名称を変更したが、被告人は、Gが違法行為をしていた過去のものとは切り離され、今後は社会的に承認されていくのではないかと感じ、受け入れがたい思いを抱いていた。
そのような中、被告人は、自身が自殺した場合の生命保険の免責期間が経過する平成30年(2018年)頃、母と話をする機会があった。
被告人は、母が、兄が生前に苦しんでいたのはGからの返金を受けていたからであって、兄は母が過去に献金をしていたおかげで、天国で幸せになっていると考えていることなどを知った。
そして、被告人は、そのように母が思っているのはGの影響があるのだと考え、Gに対する受け入れがたい気持ち、ひいては怒りの感情を抱くようになった。
さらに、被告人は、Gに対し、「いろいろ思い知らせてやろう」、「一矢報いる」、「打撃を与えるのが自分の人生の意味だ」などとも考えるようになった。
(4) 被告人は、平成30年(2018年)7月頃、Gの幹部を襲撃するために、ナイフと催涙スプレーを持ち岡山へ行ったが、実行することはできなかった。
また、 被告人は、令和元年(2019年)10月頃にも、Gの幹部を襲撃するために、火炎瓶を持って名古屋に行ったが、実行することができなかった。
(5) 被告人は、周囲に被害を出さないようにしつつ、Gの幹部を確実に襲撃するための手段が必要であるなどと考え、最終的に銃を用いることを考えた。
そこで、被告人は、令和2年(2020年)10月頃、インターネット上において第三者から銃の購入を試みたものの、これに失敗した。
そこから、被告人は、手製銃や黒色火薬の製造を開始した。
そして、被告人は、第3で述べたとおり、原材料を自ら調達したり、試射を通じて手製銃の改良を重ねるなどし、約1年半にわたり、複数の手製銃及び大量の黒色火薬を製造した。
他方で、この間、感染症による社会情勢等も影響し、被告人が標的の対象とするGの幹部が、韓国から来日する機会は訪れなかった。
(6) 被告人は、令和4年(2022年)6月頃、Gの幹部が来日していたことを事後的に知った。
また、被告人は、同年7月10日にGの幹部が来日することも知ったが、それは自身の襲撃対象となる重要な幹部ではなかった。
この時、被告人は、同年6月上旬に仕事を辞め、手製銃等の製造費用による多額の借金を抱えるなど、経済的にも追い詰められていた状況であった。
被告人は、かなりの費用や時間をかけて手製銃の製造などを続けてきたのに、経済的に行き詰った挙句、襲撃ができなくなることは避けたいと思っていた。
そのような中、被告人は、同年7月初旬頃、被害者が参議院議員選挙の応援演説で岡山に来ることを知った。
被告人は、Gの幹部がいつ来日するかわからず、かつ、自身の生活がひっ迫している状況の中で、被害者を襲撃することが可能であることを認識し、自身が希望するGの幹部が来日することを待って何もできなくなるよりは、今やる方がよいなどと考え、被害者の襲撃を決意した。
なお、被告人は、被害者とGとの関係について、以前から両者には関係があり、被害者のことをGに対する影響力がある人物であると考えていた。
また、被告人は、令和3年(2021年)頃、Gの関連団体が主催した行事に被害者がメッセージを送った動画を見て、被害者の元首相との立場も考慮すると、Gが社会に問題がない団体として認知されてしまうのではないか、それは「困る」という感情を抱いた。
被告人は、この動画の視聴以降、被害者は標的の一人とまではいかないものの、頭の片隅には常にある存在として認識していた。
(7) 被告人は、令和4年(2022年)7月7日未明、被害者の襲撃がGに対する怒りから生じた事件であることを示すために、Gの関係団体が入居するビルへ向けて、手製4銃身パイプ銃を発射した(判示第4の犯行)。
しかし、被告人は、同日日中、岡山へ行ったものの、被害者を襲撃する機会を得ることはできなかった。
被告人は、岡山から自宅へ帰る途中、被害者が翌日(同月8日)、奈良に応援演説で来ることを知り、奈良での襲撃を決めた。そして、被告人は、同月8日、西大寺事件を実行した。
2 以上の事情等を踏まえて、検討する。
(1) 幼少期において、父が自死し、兄が重病を抱えるなどの不安定な家庭環境の中で、Gに入信した母の各種言動や、これを原因とする家族間の激しい諍いなどもあって、被告人は、家庭内で安息の場所を得ることができなかったことがうかがわれる。
進学校であった高校に進学しながら、当時の家庭の経済状況等も要因となって、大学進学に至らなかったことなども含めて、その生い立ち自体は不遇な側面が大きいといえる。
また、被告人が、成人や就職等を経て、一定の自立した生活を送ることができるようになってからも、家族思いの性格等も一因となり、母の信仰等を巡って諍いを繰り返していた母や兄との間で、適度な距離感を構築・維持することが困難であったとうかがわれる点についても、それ自体を責めることはできない。
そのような中、被告人が、兄の自死に大きな衝撃を受けたことや、その後に母から兄の自死に対する捉え方を耳にした頃以降に、長年にわたってGに対して抱いていた複雑な感情が激しい怒りに転じたことについても、上記のような被告人の立場・生い立ちなどからすれば相応の理由があったことがうかがわれ、それ自体は理解が不可能とはいえない。
なお、被告人は、本件各犯行に至るまで、このような激しい怒りを維持する一方、母や妹と疎遠になって社会的に孤独な状況にあり、自身の感情や、その前提となった母のGへの入信により家庭で生じた問題等について、関係機関に相談して支援を受けることなどをしていなかった。
もっとも、これらの時点では、Gに関連する問題に取り組んでいた弁護士等において、いわ ゆる宗教二世に関する問題を取り上げるには至っておらず、関係省庁(厚生労働省)からも、親の宗教信仰に関連した児童虐待が生じ得るとの認識は示されていなかった。
さらに、被告人については、幼少期から、信仰に根差した母の各種言動や家族間の諍いに触れる機会が多かったことや、自死を含めて身近な人間の死に複数回触れたことなどが影響し、不幸な出来事等に対して自責の念を抱きやすい傾向や、偶然に運命を見出す傾向等が形成され、また、自他を含めて「死」に対する抵抗感を一定程度低下させる一助となった可能性もうかがわれる。
このように、被告人の幼少期から青年期にかけての各種体験が、その後の人格形成や思考傾向等に一定の影響を与え、これらが本件犯行の背景や遠因となったこと自体を否定することはできない。
(2) しかしながら、Gやその関係者に対し、激しい怒りの感情や思い知らせたいなどとの感情を抱いたとしても、現実に殺人行為によって他者の生命を奪うことを決意し、そのための道具である手製銃等の製造を計画して実行するという意思決定に至ったことについては、以下のとおり、大きな飛躍があるといわざるを得ず、被告人の生い立ちの影響を大きく認めることはできない。
すなわち、まず、被告人は、判示第1の犯行に着手した令和2年12月頃には既に40代を迎え、自立した生活を送っていた社会人であって、長年にわたる社会生活の中で相応の規範意識を形成することができていたというべきである。
とりわけ、「人を殺してはならない」という社会規範は、被告人の不遇な生い立ちなどを踏まえても、社会の一員として当然かつ十分に身に着けることが可能なもので、被告人自身も、兄の死に直面し、その衝撃を大きく感じていたのであって、自ら他人の生命を奪うことの反社会性を十分理解していたといえる。
また、被告人が西大寺事件に至るまでには、Gの幹部を襲撃する機会を複数回うかがうも実行に至らなかった、銃を第三者から入手することに失敗した、Gの幹部の来日がいつになるかわからないと感じた、岡山での被害者の襲撃の機会を得られなかったなどの、目的達成の障害となる複数の出来事があった。
このような出来事は、被告人に、「人を殺してはならない」などという社会規範を改めて認識させ、殺人等の犯行を思いとどまらせるのに十分なものであったのにもかかわらず、被告人は、その都度、殺人等の犯行を断念せず、自身の目的を達成するための新たな手段を自ら選択し、西大寺事件に至った。
このことは、被告人が「人を殺してはならない」という社会規範に立ち戻る機会を何度も与えられながら、これらを無視してきたことを端的に示すもので、自身の犯罪行為を正当化し、他者の生命を軽視する態度が顕著であると指摘せざるを得ず、各時点の被告人の判断に、生い立ちの大きな影響があったと認めることはできない。
さらに、西大寺事件で被害者を襲撃対象としたことについてみると、上記1(5)(6)のとおり、被告人は自身の「Gに一矢報いる」という目的のため、当初はGの幹部等の襲撃を計画していたが、令和4年7月初旬頃、被害者を襲撃することが「本筋ではない」と理解しつつも、被害者の生命を奪うことを決意したと認められる。
そして、その理由をみると、被告人の地元を被害者が訪れることに運命的なものを感じたことなども遠因となっているとうかがわれるものの、最終的には、被告人がその当時の自己の置かれた状況を踏まえ、とりわけ、Gの幹部を襲撃することの見通しが立たない状態で、経済状況がひっ迫し、襲撃の実行をこれ以上待てないなどという、自身の都合を優先させて、被害者の襲撃を決意したものにほかならない。
もとより、被害者には殺害を正当化できるような落ち度は何ら見当たらない。
このような被告人の短絡的で自己中心的な意思決定過程についても、生い立ちの大きな影響は認められない。
以上によれば、被告人は、家族を巡る激しい葛藤やGに対する負の感情を長年にわたって溜め込んできたところ、内心においてこれらを健全に解消し、あるいは合法的な手段による解決を模索することなく、反社会性の大きい殺人等の手段を選択して実行した。
その実行は、被告人自身が決断した結果にほかならず、その意思決定の過程に、生い立ちの不遇性が大きく影響したとみることはできない。
3 小括
以上のとおり、被告人の生い立ちが被告人の人格形成や思考傾向等に一定の影響を与え、これらが西大寺事件を含む本件各犯行の背景や遠因となったこと自体は否定することはできない。
しかしながら、これまでに検討したとおり、被告人が本件各犯行を決断したことは、被告人自身の意思決定にほかならず、本件各犯行の意思決定過程には強い非難が妥当し、この点に被告人の生い立ちが大きな影響を及ぼしたと認めることもできない。
弁護人の一切の主張内容や各証人の証言を含む関係証拠の内容等を踏まえても、本件各犯行の動機や経緯について、大きく酌むべき余地は見当たらないというべきである。
第5 その他の情状関係事実について
被告人は、当公判廷において、被害者遺族に対しては申し訳ない旨の言葉を述べており、また、本件各犯行に関する事実関係を認めた上で、本件各犯行当時の自身の言動や認識等についても、率直な説明を行っていること自体はうかがわれる。
もっとも、本件各犯行の危険性や、被害者1名が死亡したという結果の重大性を十分に認識している態度までは認められず、十分な反省に至っているとまでは認められない。
また、上記事情等に加えて、被告人の生い立ちや生活歴のほか、これまで前科がないことなども踏まえると、被告人の再犯可能性が大きいとは認められないものの、本件各犯行の重大性等に照らせば、この点も量刑に大きな影響を与えるほどの事情とは評価できない。
第6 結論
本件では判示第5の1が最も重い罪(処断罪)となるので、本件で言い渡されるべき刑につき、同事件と類型が共通する他の事案の量刑分布の状況等を踏まえて検討する。
これらの同類型の事案は、その数は多くないが、それらの量刑分布をみると、そもそも、銃器類が用いられたことが、量刑が重くなる方向の因子となっていると考えられる。
また、検察官が指摘するように、発射罪が起訴された事案では、相応に重い量刑判断がなされていることから、銃器、とりわけ発射罪の対象となる銃器が公共の静穏や安全にもたらす悪影響が重視されるべきことがうかがえる。
そこで、本件量刑判断の中心となる西大寺事件を検討すると、多数の聴衆及び関係者が周辺に存在する本件犯行現場において、被害者に向けて、殺意をもって、2回にわたり、複数の金属性弾丸を発射した行為態様の悪質性及び危険性の高さは、他の事件に比べても著しいというべきである。
したがって、西大寺事件だけでも、同類型の事案との比較において最も重い部類に属する事案であるといえる。
そして、その他の各犯行の危険性及び計画性の高さや、本件各犯行に至った被告人 の意思決定過程に強い非難が妥当すること、被告人の生い立ちは、本件各犯行に大きく影響しておらず、酌むべき余地も大きくないことなどを踏まえると、照らして無期懲役が相当な事案であると認められる。
その他、証拠上現れた事情をみても、当裁判所の上記量刑を大きく左右する事情は認められない。
よって、以上の事情等を総合考慮の上、主文の量刑を決定した。


