③日本への憧れが詰まった絵画
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの跳ね橋》ファン・ゴッホ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
さて、アルルに移ったファン・ゴッホはなぜ心身を回復させられたのか…。その理由のひとつに、「日本にいるような感じがした」ことがあります。
19世紀のヨーロッパでは空前の日本ブームが起き、日本美術に感化された芸術家たちは自作にも日本らしさを取り入れました(ジャポニスム)。印象派のモネやルノワールが日本趣味の絵を描いていた頃、ファン・ゴッホも日本美術の虜になります。
フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁(渓斎英泉による)》ファン・ゴッホ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
特に彼が夢中になったのが浮世絵で、歌川広重や渓斎英泉の作品を模写するほどに熱を上げていました。ファン・ゴッホの平面的な構成やはっきりした色の組み合わせは、浮世絵の影響とされています。
とりわけ彼を魅了したのが、浮世絵の画面の明るさでした。浮世絵では影が描かれなかったため、「日本は影ができないほど光にあふれた明るい土地なんだ」と思い込むことに。
そんな明るい場所に夢を見ていたファン・ゴッホにとって、アルルは「想像の中の日本にそっくりな理想郷」でした。憧れの地に近づけたことも、制作の追い風となったのでしょう。
歌川広重《名所江戸百景》「大はしあたけの夕立」, Public domain, via Wikimedia Commons.
また、ファン・ゴッホは歌川広重の版画《名所江戸百景》「大はしあたけの夕立」を意識して《アルルの跳ね橋》を描いたのではないか、と言われることもあります。広重のほうは雨の場面ですが、黄色と青の配色や橋が画面を横切る構図は似ているし…たしかに意識していたのかも?
フィンセント・ファン・ゴッホによる歌川広重《名所江戸百景》「大はしあたけの夕立」の模写 ファン・ゴッホ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.
ちなみに「大はしあたけの夕立」は、ファン・ゴッホが模写するほど気に入っていた作品です。
④故郷オランダへのノスタルジー
現存していた頃のラングロワ橋(1902年), Public domain, via Wikimedia Commons.
跳ね橋はファン・ゴッホにとって懐かしさを覚えるものでもありました。彼の故郷オランダでは、運河にかかる跳ね橋がよく見られたからです。
川の水面と橋の高低差が小さいと、大きな船は橋の下をくぐれません。そこで橋を左右に持ち上げ、船が通れるようにしたのが跳ね橋です。海抜の低いオランダには跳ね橋が多く、ファン・ゴッホはフランス・アルルの跳ね橋に故郷を重ねていたのではないでしょうか。
復元された跳ね橋 G u i d o • CC BY-SA 2.0, Public domain, via Wikimedia Commons.
なお、《アルルの跳ね橋》のモデルとなった「ラングロワ橋」はコンクリート橋に変わり、残念ながら現存しません。ですが、少し離れた場所に跳ね橋が再現され、「ファン・ゴッホ橋」と名付けられました。…そこはかとなく聖地巡礼ビジネスの匂いがしますが、画家を偲ぶ場所のひとつとなっています。
