Field, Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
これらの作品に共通しているのは、「人間の身体は空間とどのように関係しているのか」という、とても根本的な問いです。ゴームリーは単に人の形を作る彫刻家ではありません。身体と意識、内側と外側、個人と普遍といった境界そのものを、長年にわたって考え続けてきた思索者でもあります。本稿では、彼の代表作をたどりながら、身体と空間の境界がどのように問い直されてきたのかを見ていきます。
ゴームリーの身体鋳造という手法
Antony Gormley, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゴームリーの制作の中心にあるのが、「自分自身の身体から型を取る鋳造」という方法です。これは単なる技術的な選択ではなく、彼の思想と深く結びついた行為でもあります。
制作の際には、まず全身にワセリンを塗り、ラップフィルムで身体を覆います。その上から、アシスタントが石膏を染み込ませた包帯を巻きつけていきます。鼻には呼吸用の穴が残されますが、目や口は完全に覆われた状態となり、石膏が固まるまでの約10分間、じっと静止し続けます。
完成した石膏の型は二つに分割され、内部を補強したのち、鉛や鉄といった金属で鋳造されます。ゴームリーは、溶接の跡や継ぎ目をあえて隠しません。それらは、作品がどのように生まれたのかを示す痕跡であり、制作に伴う緊張や労力を観る者に想起させる要素でもあるからです。
重要なのは、ゴームリーが自分の身体を使いながらも、個人的な肖像を作ろうとしていない点です。鋳造された像には、髪型や表情、性別といった個人的な特徴がほとんど見られません。表面は抽象化され、身体は中性的で、顔も無表情です。彼の身体は「特定の個人」を示すものではなく、「誰もがなりうる人間」という普遍性を指し示すための媒体として使われているのです。
身体を鋳造する「瞑想」と「哲学」
この身体鋳造のプロセスは、ゴームリーにとって瞑想的な体験でもあります。彼は若い頃、インドとスリランカで3年間を過ごし、仏教の瞑想を学びました。暗闇の中で身体を覆われ、動かずにいるという体験は、外界から切り離され、内側の空間へと意識を向ける行為でもあります。
ゴームリーはこの体験について、「身体の境界が崩れ始める。自分がどこから始まり、どこで終わるのかがわからなくなる」と語っています。人間の意識は、身体の内部に固定されたものではなく、分散しうるものだという感覚。この境界の曖昧さこそが、彼の作品の核心にあります。
こうした考え方は、現代哲学とも響き合っています。フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、身体を世界を経験する出発点として捉え、身体そのものが世界を開く媒介であると論じました。
また、社会学者ロジェ・カイヨワは擬態の研究を通じて、自己が周囲の空間に溶け込む体験を分析しています。ゴームリーの作品は、こうした哲学的な洞察を、彫刻というかたちで可視化したものだと言えるでしょう。
