膵臓がんは治療が難しく、進行した患者さんの多くが「切除不能」と判断されてきました。その理由は、膵臓が多くの重要な血管に囲まれているため、安全に腫瘍を摘出することが困難だからです。しかし、50年にわたって膵臓がん手術に取り組んできた中尾昭公先生によって、「門脈カテーテルバイパス法」や「メセンテリックアプローチ」といった革新的な術式が開発され、従来は治療の対象外とされていた患者さんにも新たな治療の道が開かれました。全国から患者さんが訪れるその診療の現場から、臨床経験と科学的エビデンスに支えられた中尾先生の哲学に迫ります。
※2025年11月取材。

監修医師:
中尾 昭公(名古屋セントラル病院)
1973年に名古屋大学医学部を卒業。卒後、一般外科医として地方病院で研鑽を積んだのち、1980年より名古屋大学医学部第二外科(肝・胆・膵外科研究室)に勤務。1981年には、これまで切除不能とされた膵がんの門脈浸潤例に対して「門脈カテーテルバイパス法」を臨床導入し、さらに「Mesenteric Approach(メセンテリックアプローチ)」などを考案・確立して、膵がんの外科治療成績向上に貢献した。1999年より名古屋大学医学部第二外科教授、2006年からは大学院医学系研究科消化器外科学教授を歴任。2011年、名古屋セントラル病院院長に就任し、現在も臨床・研究・教育の最前線で活躍中です。専門は肝・胆・膵の悪性腫瘍外科であり、日本消化器外科学会・日本外科学会・日本肝胆膵外科学会などの指導医・高度技能医としても認められている。また、セカンドオピニオン外来を通じて、難治性膵がんを含む肝胆膵腫瘍患者の相談・診療支援にも積極的に取り組んでいる。
膵臓がん手術の困難さとの出会い
編集部
はじめに、手術の現場で直面した困難や限界についてお聞かせください。
中尾先生
膵臓がんの手術がなぜ難しいのか。それは門脈(もんみゃく)という重要な血管が膵臓を貫通しているからです。1分間に1リットルの血液が流れるこの血管を、どのように血流を確保しながら安全に腫瘍を摘出するのかが、長年の課題でした。1973年に卒業した当時、膵臓がんは本当に手術が困難とされていました。多くの患者さんが治療の対象外とされていたのです。この課題を解決すべく、1980年代から門脈バイパス実験を開始しました。流体力学に基づいて、圧が上がらず血液が円滑に流れ、中で凝固しないバイパス用カテーテルを開発し、門脈血を大腿静脈から下大静脈や肝内門脈へ流す方法を確立しました。1981年に臨床応用し、手術法を完成させ、発表したのです。
※門脈バイパス法:肝臓へ血液を運ぶ門脈が腫瘍や炎症で圧迫・閉塞され、血流が保てない場合に用いられる手術の方法。門脈の流れを別の血管に迂回させることで、肝臓の血流を確保し、臓器機能の低下や消化管の鬱血を防ぐことを目的としている。特に膵臓がん切除時に門脈に腫瘍が広がっている場合などで採用されることが多い
がん細胞の播種を防ぐ新しい手術法の開発
編集部
中尾先生が発表した手術法は、どのように画期的だったのでしょうか?
中尾先生
従来の膵臓がん手術は、膵臓を揉みほぐすようにして剥がす手技が主流でした。しかし、この方法には大きな課題がありました。腫瘍を直接触ることで、がん細胞が血液中に放出される危険性があったのです。そこで、「non-touch isolation」(ノンタッチアイソレーション)という概念を導入しました。膵臓に直接触れないで腫瘍を摘出する方法です。この概念を実現したのが、「メセンテリックアプローチ」です。腸間膜を切開して上腸間膜動脈を露出させ、膵臓への血管枝を先に切断する。この順序を変えることで、膵臓を直接触ることなく、安全に切除できるようになったのです。1992年に「アイソレイテッドPD」として発表し、映画フィルムでも手術を記録し、国内外に発信しました。
メセンテリックアプローチ:膵頭部がんの膵頭十二指腸切除で用いられる術式概念。腫瘍側からではなく、腸間膜根部で上腸間膜動脈・静脈周囲を先行して剥離し、血管浸潤の有無や切除可能性を早期に評価するとともに、膵臓への流入動脈、次いで流出静脈を結紮切離する。これにより、がんに直接触れることなくがんへの流入血と、がんよりの流出血を遮断して切除が可能となり、術中のがん細胞の血中への揉み出しを少なくすることが可能となった。かつ、腫瘍の完全切除(R0切除)の達成率を高めることが期待される

