“満塁男”駒田徳広が語る原点と転機 プロ初打席満塁ホームランで掴み取った運命<プロ野球 レジェン堂>

“満塁男”駒田徳広が語る原点と転機 プロ初打席満塁ホームランで掴み取った運命<プロ野球 レジェン堂>

「プロ野球レジェン堂」
「プロ野球レジェン堂」 / ※提供画像

1月20日に放送された「プロ野球レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストはプロ野球史上初となる初打席満塁ホームランという鮮烈なデビューで一躍その名を轟かせ、「満塁男」の異名で親しまれたレジェンド・駒田徳広だ。MCの徳光和夫と遠藤玲子とともに、奈良で育った少年時代から巨人入団、そして横浜移籍後に確立された勝負強さの原点まで波瀾万丈の野球人生が語られた。

■ONに憧れた奈良の野球少年…甲子園に届かなかった高校時代

駒田は奈良県三宅村(現・三宅町)の出身。幼少期から野球に親しみ、関西育ちでありながら熱烈な読売ジャイアンツファンだった。とりわけ王貞治、長嶋茂雄の“ON”への思い入れは強く、野球中継ではONの打順になる時間だけチャンネルを合わせて観ていたという。

中学入学時点で身長166.7cmと体格に恵まれていた駒田は、その後もぐんぐんと成長を続ける。高校では185cm、プロ入り後も25歳頃まで伸び続け、最終的には191cmに達した。奈良といえば強豪・天理高校が有名だったため駒田も同校を志望するが、受験は不合格。進学先に選んだのは県立桜井商業だった。

甲子園出場経験のない同校でエース兼主砲として活躍した駒田。高校通算43本塁打、打率4割9分という驚異的な数字を残す。しかし甲子園予選では天理や智弁学園と同じブロックに組み込まれることが多く、決勝や準決勝まで進みながらその厚い壁に阻まれ続けた。それでも3年春の大会では天理から満塁の場面で敬遠されるほど警戒されていたというエピソードもあるなど、当時から規格外の存在であったことは間違いなかったようだ。

■投手入団から野手転向へ…プロで味わった戸惑いと衝撃

高校時代の活躍はスカウト陣の目にも留まり、複数球団が駒田のもとを訪れた。その中で巨人はドラフト2位で駒田を指名。1位指名の原辰徳とともに入団することになるが、意外にも駒田は打者ではなく投手としての評価でプロの世界へ足を踏み入れることに。

入団後、合同自主トレではブルペンに入って投球練習をおこなう一方、バッティング練習の時間になるとコーチ陣から呼ばれてブルペンを離れることもあったという。藤田監督はその恵まれた体格を活かしてまずは投手としての起用を考えていたが、駒田自身は中途半端な立ち位置に戸惑いを覚えて「やるんだったら1年目から野手でやらせてください」と直訴。すると監督は渋々ながらも、その覚悟を受け入れたという。

岡崎郁、吉村禎章、槙原寛己、村田真一といったそうそうたる顔ぶれが揃っていた当時の巨人。「不屈の天才」と称された吉村が1年目から3割を超える打率を残す姿を目の当たりにして、駒田は「こういう奴がプロに来るんだな」と衝撃を受けたと振り返った。

■初打席満塁弾が切り開いた道…“満塁男”誕生の瞬間

駒田が入団から2年間の2軍生活を経て迎えたプロ3年目、開幕戦で初の1軍スタメンに名を連ねた駒田へ運命的な場面が訪れる。満塁の状況で回ってきたプロ初打席だ。右田一彦投手からの投球を見事に捉え、ライトスタンドへと叩き込むことに成功する。「初打席満塁ホームラン」…プロ野球史上初の快挙だった。

この一打をきっかけに駒田は1軍へ定着し、その年は86試合に出場し12本塁打を記録。駒田自身も「これがなかったら僕はダメだったと思う」と語っており、この瞬間がキャリアの分岐点であったことは間違いない。

さらに番組では、1993年に巨人からFAで横浜大洋ホエールズへ移籍した際の裏話も明かされた。通算13本の満塁ホームランのうち、実に8本は横浜時代に放ったもの。山下監督から掛けられた「満塁になったら満塁ホームランで考えて打席に立っていいからな」という言葉が、駒田の意識を大きく変えたという。

甲子園に届かなかった高校時代、投手として入団したプロ1年目、そして初打席満塁弾という奇跡の瞬間。番組を通して見えてきたのは、“満塁男”という称号の裏で積み重ねてきた多くの努力と覚悟の歴史だ。結果だけでなくその背景を知ることで、駒田徳広という打者が持つ勝負強さの秘訣がより立体的に浮かび上がる放送回となった。

提供元

プロフィール画像

WEBザテレビジョン

WEBザテレビジョンは芸能ニュース、テレビ番組情報、タレントインタビューほか、最新のエンターテイメント情報をお届けするWEBメディアです。エンタメ取材歴40年以上、ドラマ、バラエティー、映画、音楽、アニメ、アイドルなどジャンルも幅広く深堀していきます。