私は「おいしい」をほおばり口に出す「美人な唐揚げを思い出して」【連載:しょぼくれおかたづけ 第20夜】

私は「おいしい」をほおばり口に出す「美人な唐揚げを思い出して」【連載:しょぼくれおかたづけ 第20夜】

「唐揚げとプリンに目ざとかったころの私」
「唐揚げとプリンに目ざとかったころの私」 / 提供=にぼしいわし・いわし

にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。 

今回は、「一生このままでいい」と思えるほどだったという「おばあちゃんの美人な食卓」について。ずっと昔のことなのに、まるで昨日のことのように綴ることのできる、小さないわしを魅了した、美しくて満腹な食卓を囲む一夜を思い出します。

「孫」であることが十分にできなかったという、もう拭うことのできない後悔がある。それでも、思い出せるあのときの、あの一瞬が2人にとって幸福だったのであればいいな、と祈るある日のお話です。

■第20夜「めっちゃおいしいねん」

 おばあちゃんの唐揚げは、美人だった。

 父方のおばあちゃんは料理が得意だった。小学生の私たち姉妹がもりもり食べられるようなひと口サイズの唐揚げで、どの角度から見てもくるんとしていてきれいだった。衣が薄くて、肉が近くて嬉しい。ひと口サイズと小さいのに、口の中に入れた途端に私の口の中に醤油の優しい甘さと鶏の脂がガツンと合わさる。そのあとに鼻を抜ける生姜の爽やかさ。私が生姜を知ったのはその時だった。小学生ながらこれは日本でも有数の美しい唐揚げなのだと思い込んでいて、これを食べられていない同級生たちに申し訳ない気持ちになった。

「危ないから向こういきや」と言いながら唐揚げを揚げているおばあちゃんを無視して、キッチンペーパーの上の揚がった唐揚げの個数と、今から揚げる唐揚げの個数を見て、ひとりあたり何個食べられるかを計算していた。「唐揚げってこれが全部なん? もうないん?」と聞くと、「ほかにもおかずがあるから」と言われる。振り返ってテーブルを見ると、私がくる前から準備していただろうお惣菜がたんまりと並べられて、ラップ越しに私を見ている。ポテトサラダに魚の煮付けに大根の炊いたんに。どれを見てもツヤツヤで美人だった。グリンピースと卵の炒り付けだけは苦手だった。もちろん美人だったけど。

 おばあちゃんちのマンションは玄関から入って奥にキッチンがあって、コンロの向かいにはおばあちゃんこだわりの大量の食器類が並べられていた。キッチンの周りには自分の家では見たことがない、でかいミキサーとかパンを作る器械があって、オトンに「ばあちゃんは料理好きやねん」と言われる前から、そんなこと余裕でわかっていた。その奥にベランダがあって、キッチンで料理を作っているおばあちゃん越しに、おじいちゃんがベランダの鉢植えの手入れをしているを見るのが好きだった。
 おじいちゃんはベランダに、椅子や鉢植えを飾る棚を作っていた。ご飯ができるまでの間、おじいちゃんが作ったベランダを見ていた。おじいちゃんお手製の椅子に私が座りながら、おじいちゃんとよくしゃべった。おじいちゃんがベランダを歩き回りながら、いろんなところに作ったいろんな引き出しや棚のこだわりや説明を受けるのが好きだった。オトンに「じいちゃんは作るの好きやねん」と言われる前から、そんなこと余裕でわかっていた。そして最近、実家に帰るたびに手作りの棚が増えている父の部屋を見て、きっとこうなることも余裕でわかっていた。

 おばあちゃんの手料理があまりにもおいしくて、小学校での話を聞きたい祖父母そっちのけでもりもりと食べていた。そしてこたつで寝転んで至福の時を過ごす。
 でも、「ようさん食べたなあ、ほなもうこれはあとにするか」と遠くに聞こえるおばあちゃんの声を聞き逃さない。よっしゃ今日もある。まあ、今日もあることは、おばあちゃんちに着いたときに速攻で冷蔵庫を開けて確認ずみ。おばあちゃん特製の牛乳プリンだ。パンダや猫の型のコップに入れられた牛乳だけの素朴なプリン。私が喜ぶだろうと、パンダや猫の型のコップを使って作ってくれるけど、私はバケツを使ってくれたほうが喜んだかもしれない。ひと口掬うと、スプーンの上で優雅に揺れる。私と一緒に踊りたそうなプリンを口に入れると牛乳はこっくり、少しの砂糖でほんのり甘い、ぷるぷるの食感のせいで噛むことを忘れそうになりながら、しっかり噛む。一生このままでいいと思う。必死で味わおうとする私におばあちゃんは「こんなようさん食べてくれて嬉しいわあ」と言ってた気がする。

■「孫」ができなかった後悔を今さらに

 母方の祖父母は自宅からすぐのところに住んでいたから、一緒にスーパーに行ったり病院に連れてったり、放課後に祖父と将棋をしたり、いわゆる「孫」をすることができたけれど、父方の祖父母は自宅から少し離れたところに住んでいて、私が小学生高学年になったときから徐々に、正月やお盆などのイベントごとでしか顔を合わさなくなった。

 私が中学生になったとき、おじいちゃんがガンで亡くなった。そして、高校生になったとき、おばあちゃんも亡くなった。病気になったときにはもう手遅れの状態で、入院して亡くなるまでが早かった。

 今33歳になってようやく、父方の祖父母に「孫」をちゃんとできなかったことを後悔しするようになった。でも恐ろしいことに、この後悔は絶対に解決しない。亡くなった人は絶対に戻ってこないから。この後悔を真正面から受け止めたくなくて、「孫ってそんなもんやしな」とか「ほかの人もこういう経験あるよな」と、自分に都合のいい言い訳をして、向き合わないといけない気持ちにふたをして見ないようにしてしまっていた。
 でも本当は、もっと私には、できることがあったなあと思う。

【写真】「芸人になって、レギュラー番組ももった私。きっと2人は向こうで腰を抜かすはず」
【写真】「芸人になって、レギュラー番組ももった私。きっと2人は向こうで腰を抜かすはず」 / 提供=にぼしいわし・いわし

 おばあちゃんおじいちゃんへ。

 めっちゃびっくりすると思うけど、なんと、私はお笑い芸人になりました。あんなにもまじめ堅物人間がお笑いの道に進むなんて、オトンもおばちゃんもびっくりしてます。だから今、たいそうお2人もびっくりしていることでしょう。
 実は、今になって、2人ともっと思い出をつくっていればよかったなと後悔しています。中学くらいからはなかなか会いにも行けなくてごめんね。ずっと気がかりでした。2人がさびしくなかったか、ずっと気掛かりでした。
 でも少しだけよかったなと思うこともあります。それは、おばあちゃんの料理を、おいしいおいしいと夢中で食べてる姿を2人に見せれらたことです。そのおかげで、2人に「孫」があんまりできなかったことの後悔が少しだけ和らいでいます。私に「おいしい」と言わせてくれてありがとう。いつかまた、おばあちゃんの唐揚げと牛乳プリンが食べたいです。おなか、空かせておきます。

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