世界各国を旅しながら裁判を傍聴する弁護士・原口侑子さん。今回訪れたのは、ガウディ建築と地中海の陽光で知られるスペイン・バルセロナです。 多くの観光客がバカンスを楽しむ裏側で、現地の法廷では、ある「詐欺事件」が審理されていました。被告人は「目が見えない」と偽り、長年にわたり社会保障を不正受給していた女性。そして傍聴席で原口さんが隣り合わせたのは、なんと被告人の義理の姉でした。「私たちも酷い目に遭った」――美しい観光都市の陰で繰り広げられる、泥沼の家族トラブルをレポートします。
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海沿いを走っている。海岸では若者たちが半裸でビーチバレーをしている。ビーチサッカーもしている。ピクニックもしている。観光客たちはスマホを片手に写真を撮る。最近はインドからの観光客が多いらしい。ビーチの岸壁に自転車を停めるスタンドがあり、自転車が連なって停まっている。午後の日差しが強くて目を細める。初夏の夕方5時は、ほぼ真昼の日差しだ。音楽が流れてくる。バルセロナの町はいつも海とともにある。

潮風のにおいはどこも同じ気がする。ここの海岸も、あっちの海岸も、同じように青い地中海が穏やかに打ち寄せて、穏やかに去っていく。そんな気がした。だって地中海だから。地中海性気候だからワイン用のブドウも育つし、沿岸部だからローマ時代の遺跡があったりするし。やっぱりこことあっちはつながっているんだ。そんな風にふっと思った。
……本当に?
バルセロナを含むスペイン北東部に住むカタルーニャ人は、その昔地中海を席捲したフェニキア人にルーツを持つと言われている(地名の由来とされる「バルカ家」もその一族だ)。中東から来たフェニキア人たちは海を渡って植民都市を数多く築き、そのひとつはチュニジアのカルタゴである。かつてこの海は交易の舞台であり、当時はチュニジアとスペイン東岸も「地中海」というひとつの面の周囲にある辺の一部だった。今はただ、激安LCC(格安航空会社)を駆使して飛び回る旅行者たちの目的地である。

バルセロナはオーバーツーリズムに悩んでいる。その夜はバルセロナ人の弁護士仲間と海からすぐの店で待ち合わせた。観光客でごった返すランブラス通りを避けて、何本か路地を入ったところだった。
私だって観光客だった。ずっと観光客だったし、今も観光客だ。バルセロナは観光名所にあふれている。ガウディ、サッカー、生ハム。もう廃止された闘牛も以前はあった。様々なグルメ。だけど今回はもうそろそろランブラス通りも避けていいし、ガウディも見なくてもいいし、裁判所に行ってもいい。そろそろバルセロナをスペインの一都市としてではなく、地中海のへりにある海の町として見てもいい。

初夏の朝、海に別れを告げ、大学通りを少し歩いた。したたり落ちる汗を拭きながら歩くこと10分、街路の木陰に古い建物を見つけた。カタルーニャ地方に特有のカタルーニャ裁判所、High Court of Justice of Catalonia (Tribunal Superior de Justcia de Catalunya, TSJC)である。ここはカタルーニャ地域における終審であるが、スペイン最高裁やEU裁判所への不服申し立てはできるというのでスペイン国内ではおそらく高等裁判所の地位にある。

「これは詐欺(fraud)の事件でね。被告人は、私の義妹なの」
刑事法廷の中で必死でメモを取る私を異様に感じたのだろうか、傍聴席の隣に座っている女性が英語で声をかけてくれた。
この事件の被告人――義妹――は、パーマをかけた後ろ姿しか見えなかった。彼女は被告人席に座り、弁護人の質問に答えているようだ。カタルーニャ裁判所というくらいだから裁判はカタルーニャ語かと思ったら、スペイン語で行われていた。ところどころ聞き取れたが、全体像が分かるほどではない。
「えっ、つまり、座っている被告人はあなたのシスター in law?」驚く私に、「つまり、この夫の妹」、彼女の右隣にいるスキンヘッドの男性が軽く会釈する。なるほど被告人の家族が見に来たのか。そう思って聞くと、「いや、私たちもひどい目に遭ったのよ」その女性は言った。
イギリス出身でバルセロナ在住35年という彼女は、これは義妹が社会保障を不正受給した事件だという。受給は2011年にさかのぼり、被告人は目が見えなくなったと主張しているが、実は目が見えているらしい。そんなことあるのか。

「あるのよ。でも、立証は大変。このケースを立件するのに4年かかった。彼女は彼女側の親族の間でももめていて、そっちも訴訟になってる。額が大きいから懲役刑の可能性もあるんだよ」
そこからは淡々と、被告人の病状に関する主張立証がつづいた。
「義妹はカタルーニャの制度に基づいて不正受給し、カタルーニャの制度に基づいて裁かれる」、被告人の義姉は教えてくれた。「Catalan(カタラン)」と強調する彼女の口調に、ああ、彼女もはじめにこの町に着いたときにはよそ者だったのだと思った。ビーチ沿いで海のにおいを嗅いでいた一人なのかもしれない。生まれ育ったイギリスの冷たい海とは違って、潮風がぬるいと思ったかもしれない。そんなことまで法廷の中では話せなかった。
(後編につづく)

