冬眠とはなにか
冬眠とは、体温を下げ、代謝を極限まで下げ、外界への反応をほとんど停止する生理的戦略である。消費エネルギーを抑えることにより、食物が得られない時期を乗り切るのだ。
しかし、生理機能は完全に〝停止〟しているわけではない。生理機能は著しく低下しているが、停止はせず、生命の灯は小さく点りつづけている。このとき脳も〝ほぼ沈黙〟しているが、完全な停止ではない。
つまり、冬眠は、〝「意識」を前提としない生命維持のかたち〟であるともいえる。
しかし、そこには〝意識の予備電源〟だけが点いたままの静寂がある。
興味深いのは、冬眠から覚めた動物が「連続した自己」をどう感じているか、である。冬眠前と後で、動物は「世界の連続性」をどう体験しているのか? こうした問いは、人工冬眠や人工的な低代謝状態の研究とも結びついており、医療・宇宙工学の分野でも注目されている。
今まで述べてきたように、睡眠中には記憶の固定化や情報の整理が行われているとされる。だからこそ私たちは、人生を秩序だった連続のものとして認知していられる。
では、記憶を紡ぐ作業は冬眠中でも行われているのだろうか? 睡眠と冬眠では、脳の活動レベルが大幅に異なるし、その継続時間も異なる。動物が冬眠から目覚めたとき、彼らは眠る前の〝世界観〟をそのまま保っているのだろうか?
冬眠動物が冬眠から目覚めるとき、環境への反応、繁殖行動、食物探索行動などは冬眠前の〝文脈〟を引き継ぐかたちで始まる。つまり、冬眠中にも「自己史における文脈」は保存されていると想像される。
だとしたら、冬眠中にも記憶などの時間的自己連続性を保つための根本的な機能は継続されていると考えるのが自然であろう。私たちが睡眠から目覚めたとき、「自分の人生の続きを再開する」ように、冬眠明けの脳もまた、自分史の文脈を維持しているのだろうか。
近年、実験動物であるマウスに、人工的に冬眠類似状態を誘導できる技術(QIH)が登場したことで、これまでアクセスできなかった無意識の奥深い時間を科学的に観察できるようになってきた(Takahashi et al., 2020)。
冬眠、そしてQIHは、無意識と意識の境界を再定義する重要なモデルであり、生命と意識の最小条件とは何かを問い直す鍵であると同時に、記憶と未来、そして意識の連続性の謎を解き明かす実験室でもある。
こうした実験系を使うなどして、冬眠中の神経活動やその後の記憶・行動の変化を比較することは、「無意識の最深層」がいかにして意識を再起動させるかを探る重要な手がかりとなるだろう。
冬眠中に覚醒が生じるわけ
興味深いのは、ジュウサンセンジリスなどの冬眠動物は、半年にわたる冬眠の間、ずっと完全に意識を失っているわけではなく、数日に一度「中途覚醒(inter-bout arousals)」と呼ばれる短時間の覚醒状態を挟みながら、半年もの冬眠を継続するという点である。
この中途覚醒は昔から広く知られていたが、その生理的意義はいまだ明確にされていない。免疫機能の維持、神経ネットワークの修復、あるいは睡眠をとるため――などの仮説はあるが、決定的な証拠は乏しい。
ここで、「中途覚醒」が単なる生理的調整ではなく、〝自己の連続性〟を保つための戦略ではないか、という大胆な仮説を提示してみたい。
完全な無意識状態が長く続けば、時間の主観的連続性や身体の恒常性が崩れ、自己という感覚が霧散してしまう可能性がある。
だが、ジュウサンセンジリスは定期的に短時間覚醒し、そのたびに〝私〟を再び世界につなぎ止めるのではないか。
中途覚醒は、「無意識の深層から時々浮かび上がり、世界の情報をサンプリングするための意識を灯す」ものであり、自己の連続性を密かに維持する役割を担っているのではないだろうか。
もしそうであれば、冬眠中における「中途覚醒」は、生命維持や代謝を制御するということ以上に、〝私〟という主観の自己同一性を守るための生理的戦略なのかもしれない。

生きていくためだけだったら、〝私〟という主観も自己同一性も、あるいは、世界を連続したものとして認知することすら必要はない。
しかし、動物は意識をもったことによって、そして環境や社会とより複雑な相互作用をするようになったことにより、自己同一性を確保することを必要とするようになった。冬眠中も、ときどき覚醒して世界を観察し、世界の中で自分の立場を確かめる……それが冬眠中に飛び飛びに起こる覚醒を必要とする理由なのではないか。
深い眠りの中で、冬眠動物たちは、ほんのわずかに目を覚まし、世界の続きを確かめる。そうしてまた、無意識の海へと沈んでいくのだ。
これは仮説にすぎない。しかし、将来人類が人工冬眠を実装するとしたら、その影響を知っておく必要があるだろう。

