北斎に憧れたエミール・オルリク|ウィーン分離派のジャポニスム画家を解説

日本で木版画(浮世絵)を学んだオルリク

エミール・オルリク《日本の彫師》, Public domain, via Wikimedia Commons.

オルリクはヨーロッパにいた頃から、日本の浮世絵(木版画)に興味を持っていました。来日したのも、「描き方・作り方を本場で学びたい!」という動機があったから。20世紀初頭という早い時期に、日本美術オタクとして聖地巡礼の夢を叶えます。

日本の浮世絵は、絵師・彫師・摺師の3者による分業に特徴があります。つまり、版画の下絵を描く人・版を彫る人・紙に色を摺る人が分かれており、それぞれ高度な専門スキルを持つ職人が担当。そうしてクオリティの高い作品が完成されました。

エミール・オルリク《日本の摺師》, Public domain, via Wikimedia Commons.

オルリクはこの分業体制に衝撃を受けたらしく、絵師・彫師・摺師を浮世絵で表現した連作を発表。裏方の人々にあらためて光を当てた本作は、日本文化に染まっていないオルリクならではの感性を示すようです。

陰影で立体感をつける西洋絵画と異なる、フラットな日本らしい画風も完璧にマスターしていますよね。モチーフを単色で塗りつぶすような彩色も日本風ですが、柔らかい色の組み合わせにはどこか西洋らしいおしゃれ感もあるような。日本と西洋の良いところを見事に両取りしています。

エミール・オルリク《日本の絵師》, Public domain, via Wikimedia Commons.

ちなみに《日本の絵師》のモデルとなったのは、狩野派の画家・狩野友信(かのう とものぶ)です。東京美術学校で教鞭を取るかたわら、オルリクをはじめとする外国人画家とも交流を深め、狩野派の絵の描き方を教えていました。

ヨーロッパ帰国後の活動

エミール・オルリク《江戸橋、東京》<日本便り>, Public domain, via Wikimedia Commons.

約1年の滞在を経て、オルリクは日本からチェコへと帰国します。その後、活動の拠点をウィーンへと移し、日本の風景を描いた版画集「日本便り」を刊行しました。

日本で学んだ木版画をヨーロッパに広めると同時に、オルリクはウィーン分離派にも参加。ここでも、日本をテーマにした木版画を発表します。

エミール・オルリク《モデル》, Public domain, via Wikimedia Commons.

油彩画にも日本の影響が見られ、《モデル》という作品には能面や着物、衝立が描き込まれています。縦に細長い画面にしたのは、日本の掛け軸を参考にしたからだそう。

能面は小面(こおもて)と大癋見(おおべしみ)が重ねられています。作中の女性は顔を覆っており表情が見えないのに対し、小面と大癋見はよく見える配置。女性の心のうちを能面が代わりに映し出しているのではないか…などと解釈が捗り、オルリクが私たちを謎解きに導いているようです。

ラフカディオ・ハーン『心』, Public domain, via Wikimedia Commons.

また、オルリクは日本滞在中に出会った作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作を翻訳して出版。自ら挿絵も手がけています。

1912年に二度目の来日を果たしますが、ますます近代化が進んだ日本を、オルリクはお気に召さなかったよう。失望して帰国しますが、日本の伝統が育んだ美の種は、オルリクの胸の中で大きく育ったはずです。

配信元: イロハニアート

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