彫刻の始まり、女性像の謎
壁画と並んで注目されるのが、小さな彫刻作品です。中でも最も有名なのが「ヴィーナス像」と呼ばれる女性像の彫刻群です。これらは紀元前3万年から2万5千年頃に作られたもので、ヨーロッパ各地で発見されています。
Venus von Willendorf 01, Public domain, via Wikimedia Commons.
最も有名なのは、オーストリアで発見されたヴィレンドルフのヴィーナス(Venus of Willendorf、紀元前2万8千年頃)です。高さ約11センチメートルのこの小さな石灰岩の彫刻は、豊満な胸と腹部、大きな臀部を持ち、顔の部分は詳細に彫られていません。
同様の特徴を持つ女性像は、フランスのローセルのヴィーナス(Venus of Laussel、紀元前2万5千年頃)やイタリアで見つかったものなど、ヨーロッパ全域で200点以上発見されています。
これらの像がなぜ作られたのかについても、様々な解釈があります。伝統的には「豊穣の象徴」や「母なる女神」として、出産や繁栄を祈願するために作られたという説が主流でした。しかし、現代の研究者の中には、これらが実際の女性の身体を表現したものである可能性や、単に当時の美的理想を反映したものという見方も出てきています。
興味深いことに、これらの像は携帯可能なサイズで作られています。壁画のように特定の場所に固定されたものではなく、持ち運びができるという点が重要です。移動生活を送っていた当時の人々にとって、この小さな彫刻は大切な所有物であり、おそらく個人的な意味を持つ物品だったと考えられます。
Venus of Hohle Fels, Public domain, via Wikimedia Commons.
また、ドイツのホーレ・フェルス洞窟(Hohle Fels Cave)で発見された《ホーレ・フェルスのヴィーナス》(Venus of Hohle Fels、紀元前4万年頃)は、現在知られている中で最古の人物彫刻の一つです。マンモスの牙から彫り出されたこの像は、約4万年前のものとされ、人類が非常に早い段階から立体的な造形表現を行っていたことを示しています。
抽象表現の萌芽と記号の誕生
洞窟壁画や彫刻作品を見ていると、具象的な表現だけでなく、抽象的な記号やパターンも多く見られることに気づきます。点や線、格子模様、ジグザグ模様など、一見すると意味不明な図形が、動物の絵と並んで描かれているのです。
Claimed Oldest Known Drawing by Human Hands Discovered in South African Cave, Public domain, via Wikimedia Commons.
南アフリカのブロンボス洞窟(Blombos Cave)で発見された赤色の顔料で描かれた抽象的な模様は、約7万3千年前のものとされ、人類が記号を使った思考を行っていた最古の証拠の一つとされています。これは、人間が単に目に見えるものを再現するだけでなく、抽象的な概念を視覚化する能力を持っていたことを示しています。
スペインのラ・パシエガ洞窟(La Pasiega)などでは、赤い点が規則的に配置されたものや、梯子のような形、格子状の模様などが見られます。これらが何を意味していたのかは未だに謎ですが、何らかのコミュニケーション手段として機能していた可能性があります。
近年の神経心理学的研究では、これらの幾何学的パターンが、変性意識状態(トランス状態や幻覚状態)で人間が見る視覚パターンと類似していることが指摘されています。つまり、儀式の中で特殊な精神状態に入った人々が見たビジョンを、壁画として記録していた可能性があるのです。
