道具から芸術へ、機能と美の境界
アートの起源を考える上で見逃せないのが、実用品における装飾の発展です。石器時代の人々は、生活に必要な道具を作っていましたが、その中には実用性を超えた美しさを追求した痕跡が見られるものがあります。
例えば、フランスで発見された紀元前1万8千年頃の銛(もり)には、複雑な装飾が施されています。単に魚を捕るための道具としてであれば、このような装飾は不要です。しかし、彼らは機能的な道具に美しさを加えることを選びました。これは、人間が「役に立つもの」と「美しいもの」を統合しようとする本能を持っていることを示しています。
また、貝殻に穴を開けて作ったビーズやペンダントも、非常に古い時期から見られます。南アフリカのシブドゥ洞窟(Sibudu Cave)では、約7万5千年前の貝殻のビーズが発見されており、人類が自分自身を装飾し、社会的なアイデンティティを表現する欲求を持っていたことが分かります。
これらの装身具は、単なる飾りではなく、集団内での地位や役割、所属を示すシンボルとして機能していた可能性があります。現代でも、私たちは服装やアクセサリーを通じて自分を表現しますが、その起源は数万年前に遡るのです。
認知革命とアートの関係
人類学者や考古学者の間で注目されているのが、約7万年から5万年前に起きたとされる「認知革命」とアートの関係です。この時期、ホモ・サピエンスの脳に何らかの変化が起こり、抽象的思考、言語能力、象徴的思考が飛躍的に発達したと考えられています。
この認知革命の証拠として挙げられるのが、まさにアート作品の出現です。それ以前の人類も道具を作っていましたが、象徴的な意味を持つ装飾品や芸術作品は、この時期から急速に増加します。つまり、アートの誕生は、人間が「今ここにないもの」を想像し、それを他者と共有する能力を獲得したことと深く関係しているのです。
イスラエルのケサム洞窟(Qesem Cave)での研究では、約30万年前の初期人類がすでに火を制御し、社会的な空間を組織していた証拠が見つかっています。しかし、明確な芸術表現はまだ見られません。芸術が生まれるためには、単なる知能の高さだけでなく、象徴を理解し共有する社会的な能力が必要だったのです。
現代の研究者の中には、アートの誕生が言語の発達と密接に関連していると主張する人もいます。言葉で直接表現できない感情や概念を、視覚的な形で伝えようとする試みが、アートの始まりだったという考え方です。洞窟の奥深くで行われた儀式は、おそらく語りや歌と組み合わされ、集団の神話や物語を次世代に伝える役割を果たしていたのでしょう。
