子猫を米国へ輸送し、家族に

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5月になるとJohnさんの米国への帰国が決まりました。Meoと絆を深めた彼は、悩みました。もしこのまま置いていけば、野良猫になるか、殺されてしまう運命でしょう。フエに送り返すことも不可能です。
Johnさんはこの猫とともに帰国することを決めました。サイゴン動物園で予防接種と健康診断を受けたMeoは、Johnさんが旅立った数日後に飛行機の貨物室に乗せられ、ニューヨークのJFK空港へと空輸されました。36時間の旅を経験したMeoは、空港に着いたときはとても機嫌が悪かったといいます。
住む場所を探している間、コネチカット州に住む母親がMeoを預かってくれました。家には同居猫がいましたが、Meoはたちまち親分として君臨しました。Meoは近所の子供たちの間でも人気者になったのです。
ところがある日突然、この猫は姿を消してしまいました。探し回っても見つかりません。やっと4日目になって、ガレージの中でケガをした状態で発見されました。おそらく交通事故にあい、何とか戻ってきたのでしょう。
獣医に診せると、肩に2、3ヵ所骨折があり、足の骨も折れていました。助かるかどうかが危ぶまれました。さっそく骨を固定する手術を受けたところ、幸いにも、やがて外を自由に歩き回れるほど回復したのです。
肺炎になって3週間入院したこともありました。抗生物質の投与で回復しましたが、くしゃみの発作はその後も完全には治らなかったのです。
ロンドンへの転勤、そして別れ

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数ヵ月後、Johnさんと恋人のJoyさんはマンハッタンの小さなアパートに引っ越し、Meoも引き取られていきました。
その後1970年5月にJohnさんはベトナムに一時派遣されましたが、Joyさんからの手紙によると「猫はあなたを恋しがっている」ということでした。
Johnさんが無事に戻ったとき、Meoは当初は無視していたものの、彼の荷物の臭いをクンクン嗅いでいました。そして彼が寝床につくと、Meoは頭のそばに座って長い間その顔を見つめていたといいます。
やがて1970年に、彼は仕事でロンドンへ移りました。そこでJoyと結婚し、2人の娘を授かりました。
Meoも検疫ののちに新しいアパートに連れていかれましたが、「不当な扱いを受けた」と感じたようで、荒れ狂って悪魔のように部屋中を駆け回っていました。あるときはドアのすきまから差し込まれる郵便物を見て、配達員の指にかみついたこともあります。
しかしJohnさんとMeoの友情はずっと変わりませんでした。ときどき一緒にブランデーを舐め、二人ともよろめきながらベッドへ向かうこともあったのです。
残念ながらMeo は1981年に13歳でふたたび肺炎にかかり、亡くなりました。ベトナム戦争を生き抜き、ともに危険な旅を経験した同志は、天に帰っていったのです。
「わたしたちの関係は、ある意味で互いの血に染まり、生と苦しみと死を包括する米国とベトナムの姿を象徴するものでした」とJohnさんはのちに記しています。

