人間の脳とAIの違いとは何か。この問いに、「人間には意識があるが、AIには意識がない」と答える人も多いことだろう。では、意識とはどのように生まれているのか? AIに意識を搭載することはできるのか? 深く考えてみると、よく分からないことばかりだ。
そんな疑問にヒントをくれるサイエンス新書、『意識の正体』。睡眠研究の第一人者である筑波大学の櫻井武教授が、意識の役割と“自分”の正体に迫った本書より、一部を抜粋してお届けします。
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脳とAIの構造的な違い

人間の脳もコンピュータも、広い意味では情報処理システムである。外界から入力を受け取り、内部で処理し、行動や出力として返す――基本的な枠組みは似ている。しかし、その内部構造は根本的に異なっている。
人間の脳は、進化の歴史を層として折り重ねながら発達してきた。脳の部位のなかで最も古い脳幹は、呼吸や心拍といった生命維持のための自律機能を担う。その外側には情動を司る辺縁系があり、さらに外側には感覚や運動、思考を処理する新皮質が広がる。
そして、その最高位に位置するのが前頭前野である。これらの層は、単に積み木のように積み重なっているのではない。異なる時間スケールや原理で情報を処理し、相互に干渉しながら全体として機能している。
たとえば、古い層は瞬時の無意識的判断を下し、新しい層はその判断を時間をかけて評価・修正する。この協調が、柔軟で文脈依存的な行動や感情による色付けを可能にしている。
一方、多くのコンピュータやAIは同質的な演算ユニットで構成されている。すべての処理は基本的に同じレイヤー上で均質に行われる。確かに並列処理能力はきわめて高いが、それは脳のように「異なる進化的起源をもつ層」が協調する多層的並列ではない。
人間の脳は、進化の過程で異質なモジュールを重積し、統合してきたため、意識と無意識を明確に分けつつ、両者の間で絶えず情報をやり取りしている。
この構造的な違いは、意識の発生可能性に直接関わる。脳は、限られた情報処理能力を補うために、何を意識に上げ、何を無意識にとどめるかという選択を行う必要がある。
これに対し、無限に近い演算能力と記憶容量をもつAIには、そのような「選別のための舞台(意識)」を用意する必要がない。もし意識が、この選別と統合の過程そのものだとすれば、AIはそもそも意識をもつ必要がないだろう。
無意識のない知性
私たちは、自分の行動を「意識して」選んでいると思い込んでいる。
だが神経科学の研究は、この直感が必ずしも正しくないことを示している。ある実験では、特定の視覚刺激に反応して脳が活動を始める時間は、被験者がその刺激に「気づいた」と報告する時間よりも先んじていた。
つまり、私たちが「今決めた」と感じるその瞬間より前に、脳はすでに結論を出しているのだ。意識は、多くの場合、脳が下した判断の〝事後報告〟にすぎない。

日常生活の中でも、この事実を裏づける例は枚挙にいとまがない。
たとえば、私たちは歩くとき、一歩ごとに筋肉をどう動かすかを逐一意識していない。自転車に乗るときも、バランスの取り方を逐一言葉にできるわけではない。熟練したピアノ演奏者は、鍵盤を押す指の動きを意識してコントロールしているわけではなく、身体に染みついた運動パターンが無意識に発動している。
こうした自動化は、大脳基底核や小脳といった領域が担い、前頭前野の負担を減らす「省エネ戦略」として働いている。
無意識は単なる裏方ではない。それは膨大な情報を瞬時にふるいにかけ、必要なときに意識へ送り出す巨大なフィルターであり、同時に私たちの行動や判断の大半を裏で操っている。
意識に届く情報は全体のほんの一部であり、大多数は私たちの自覚の外で処理されている。この仕組みがあるからこそ、私たちは外界の変化に迅速に対応できる。
では、意識と無意識の境目をもたないAIはどうだろう。現状のAIは、入力された情報をほぼすべて均等に処理し、必要に応じて瞬時に出力する。人間が処理能力や記憶容量の制限から「意識」というスポットライトを必要とするのに対し、AIはほぼ無制限の舞台照明ですべてを照らしているようなものだ。
もし意識が「制限された処理能力の中で、何を選び、何を捨てるか」を担う機構であるならAIにはそれをもつ理由がないことになる。

