
菅田将暉主演、三谷幸喜が脚本を手掛けるドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」(毎週水曜夜10:00-10:54 ※初回は夜10:00-11:24、フジテレビ系FOD・TVerにて配信)が、10月1日(水)からスタートする。同ドラマは、1984年の渋谷を舞台にした青春群像劇で、三谷自信の経験に基づいたオリジナルストーリー。この度、WEBザテレビジョンでは本作のプロデューサー・金城綾香氏にインタビューを実施。本作を企画し制作していく流れや、三谷脚本の魅力、かなりの費用をかけて制作したという豪華なセットなどについて話を聞いた。
■三谷幸喜が描く世界が実現すれば「この世界も少しは平和になるんじゃないか」
――三谷さんにお声がけをしたところから、ドラマの企画はスタートしたと思うのですが、どうしてこのタイミングで声をかけたのでしょうか。
私がフジテレビに入社したのは、三谷さんが脚本を手がける「古畑任三郎」シリーズが大好きだったからなんです。そこから、「オリエント急行殺人事件」(2015年、フジテレビ系)などでご一緒させていただいて、また三谷さんの作品に携わりたいなと思っていたときに、「三谷さんが連続ドラマに興味のあるらしい」というのを小耳に挟んだんです。そこで、「ご一緒しませんか?」と企画を持って行ったのが、このドラマの始まりでした。
――改めて三谷さんとご一緒されて、驚きや感激した部分などはありますか?
台本が横書きで送られてくるんですよ。台本は縦書きのことがほとんどなのですが、横書きだととっても読みやすくて。台本は形式が決まっていることが多くて、脚本家の方にはその形式で描いていただきます。なので印刷した時のページ数が大体分かるんです。
ですが、横書きになると縦書きよりも行数が多くなるので、ページ数が分からなくて。そこから印刷をして、我々が「少しページ数が多いんじゃないかな…?」と思った時に、三谷さんに「これは多いと思いますよ」と言うのですが、「大丈夫だと思います」とおっしゃって。実際に撮ってみると尺がピタッとハマるんです。凄くびっくりしました。
あとは、書けないという瞬間がないというところですかね。三谷さんはどんどん書くんです。相談してくださるときは、いつも「AパターンとBパターンどっちがいい?」という内容で、それってどちらを選んでも書けるということなんです。三谷さんは筆が止まるという瞬間はないんだなと驚きました。
――三谷さんの魅力はどこにあるのでしょうか?
私が好きだなと思う部分は、登場人物全員におかしいなと思う部分、ちょっとダメだなと思う部分があるところです。それでもキャラクターとして愛せてしまいますし、きっとそれは三谷さんのイタズラ心で、人間に対して面白いと思っている部分を描かれているんだろうなと。なので、そういう目線でこの世のみんなが人を見られるようになれば、この世界も少しは平和になるんじゃないのかなと思っています。
このドラマも全員とがっていて、「なんで今そんなこと言うの!」みたいなシーンもあるのですが、「あの人はそういう人だから仕方ないよね」って、みんなが許容している世界なんです。それはとても心地がいいし、優しいし、魅力を感じます。
■劇団に近い現場「キャストのみんなが気負いなく発言できていた」
――とても豪華なキャストの皆さんが集結していますが、キャスティングはどのようにされましたか?
最初に三谷さんとお話したときに、三谷さんが内容や地図、誰が出演しているかを記載した香盤表のようなものを持ってきてくださったんです。そのメモのようなものを元に三谷さんと相談しながら、キャストさんを決めていきました。なので、私が配置をしたわけではなくて。三谷さんが最初に決めていらっしゃったのは菅田さんで、菅田さんが主演で連ドラをしたいというのが入口ではありました。
――主演級の方々が揃われた現場というのはいかがだったのでしょうか。
現場の雰囲気は、劇団に近いものを感じました。練習している方がいたり、ご飯を食べている方がいたり、他の現場から駆け込んで来る方がいたり。演劇であり、社会人部活みたいな感じでした。
連ドラはやはり番手が上になるほどセリフの数も多くなるのですが、このドラマはそうではなくて、菅田さんが出てこないシーンもあります。なので、皆さん気負いなく発言もしていて、楽しい現場になったかと思います。
■楽屋はどこにあるのか「舞台が終わったあとの打ち上げするみたいな想像をしています」
――菅田さんが取材会で、とにかくセットが豪華だったとおっしゃっていました。こだわった点などはありますか?
この作品はワンシチュエーションでもあるので、ずっと同じ場所、同じ時間で絵代わりがないんです。なので、セットの手を抜くと見てる方が飽きるんじゃないかなと。すごく細かいところまで美術さんがやってくださったので、もっと寄りで映してあげたかったなと思うくらいでした。
――最初に完成したセットを見た時、いかがでしたか?
監督や、役者さんたちは「すごーい!」って感動していたのですが、プロデューサーの私は段々不安になっていました(笑)。「これっていくらなんだろう?」とよぎってしまって、喜びきれなかったです(笑)。「もうちょっと削れたかな」などと考えていましたね(笑)。
――当時の世界観を意識するために気をつけたことはありますか?
中野ブロードウェイなどにいって、80年代の雑誌や漫画を購入して見ていると、意外と今もあるものが、当時もたくさんあったことに気がついたんです。なので、当時っぽさを出すには、それを混在させないといけないんだなと。
江戸時代とかだと全く今は無いものが多いですけど、1984年となると絶妙なデザイン違いのものとかも多くて。当時のものの量が少ないと昔ぽくないし、かといって今もあるものを置いておかないと、「そんなに昔ではないでしょ」となってしまうので、そこが難しかったです。
――ドラマのタイトルも想像が膨らみます。
最初の企画の段階では少しタイトルも違ったのですが、最終的にこのタイトルに決まりました。三谷さんは撮影中に「“もしもこの世が”ではなくて、“もしも世界”のほうがいいかな」、とおっしゃっていたんですけど、「前者でいいと思います」とお伝えしました。
私的には、この世が舞台で、あの世が楽屋みたいなイメージで。この世で一生懸命頑張って、みんな天国に行った時に、「いや〜大変な人生だったねえ」というような、舞台が終わったあとの打ち上げするみたいな想像をしています。皆さんもこのドラマを通して、ご自分の思う「舞台」、ご自分の思う「楽屋」を見つけていただきたいです。

