
長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『味覚ノ言語化ヲ試ミル。』(テレビ朝日)をチョイス。
■言葉のあつかい『味覚ノ言語化ヲ試ミル。』
あまり食べることのない食材の味について、“言葉のプロ”たちが言語化を試みるテレビ朝日の新番組、『味覚ノ言語化ヲ試ミル。』。MCはミルクボーイ・駒場孝と、ガクテンソク・奥田修二。そして記念すべき第一回の“言葉のプロ”は、ラッパー・AK-69。ゲストであるドンデコルテ・渡辺銀次が、売れないどん底時代に現実逃避で作り続け、その味を極めたチャーハンを、彼はどのような言葉で評するのか?
これは面白い番組だった。まずもって、全体的に渋い。番組自体のトーンもそうだし、何よりもMCの人選。駒場孝と奥田修二、深夜に音量を落としたリビングのテレビに映っていたらセクシーなふたり。確かにふたりとも「言葉」の印象が強い芸人とも言える。同期であるふたりのラフなやり取りが垣間見えるのも、ファンからすれば嬉しいポイントだ。
番組自体のトーンが渋いというのは、時間が感じられるから。台本、テロップ、エフェクト、カメラのスイッチングなどの技術を駆使し、番組全体を完全に制御するタイプの番組とは違い、先に時間が存在して、その時間を切り取ったのが肌で感じられる番組。テレビ番組ってこの2種類に分かれていると私は思っていて、たとえば『行列のできる相談所』(終わっちゃったね……)なんかは完璧に制御された番組の代表例だ。演者たちは、われわれと同じ時間ではなく、『行列のできる相談所』に流れている時間のなかを生きている、ように見える。対して『味覚ノ言語化ヲ試ミル。』では、われわれと同じ時間が流れているように見えるのだ。だから抜け感が生まれて、深夜らしい落ち着きに身をゆだねられる。まあ、あくまで個人的な感覚の話であって、どちらが良いとか悪いとかではない。どちらも芸術、どちらもステキである。
さて、私も個人的な感覚を一生懸命に「言語化」してみたけれども、やはりむずかしい。私は文筆でカネを貰っていながら、言葉のあつかいにはまったく自信がない。細かい意味や文法は無視して、語感やリズムを優先してしまうところがある。もちろん、それは私のこだわりでもあり、物書きとしての自信とも言えるけれども、やろうと思えばきっちりやれるならともかく、私はきっちりやることができない。「細かい意味や文法は無視して」というよりも、「細かい意味や文法はよく分からないので」が正しい。学ぶのも億劫なんで無視している。そして言葉の羅列を喃語で楽しむのだ。こんな大人はダメよ~ダメダメ!ぴえん超えて千本桜・レヴィオーサ、君は完璧で究極のアイドル。イカ二貫!?
■文/城戸

