イタリア世界遺産③:ヴェネツィアとその潟(ラグーナ)
ヴェネツィアの街並み(筆者撮影・井上はな)
ヴェネツィアももちろん、忘れてはいけないイタリア旅行の花形です。
初めてヴェネツィアを訪れたときはちょうどカーニバルのシーズンで、あまりの美しさに現実とは思えないほどでした。街中を網羅する水路を通る優雅なゴンドラとマスクで顔を覆った伝統衣装の人々を見ると、まるで全く別の世界に吸い込まれたような不思議な感覚になります。
水路を移動手段に持つヴェネツィアは、基本的に歩ける範囲の道は非常に狭く、建物と建物の間はすれ違うのがやっとなことも。そのため、もちろん本土には車が入ることができず、普通のタクシーはありません。代わりに水上タクシーがあります。
カーニバル、ゴンドラ、車のない街…ヴェネツィアの特殊性を説明するには十分すぎるほどの情報ですが、もちろん、それだけで世界遺産に登録されているわけではありません。
ヴェネツィアは中世以降、海洋で栄え「アドリア海の女王」と呼ばれていました。中世から近世にかけてヴェネツィアは、ビザンツ帝国やオスマン帝国と激しい対立と交流を繰り返します。地中海・中東・ビザンツ帝国との貿易を独占した、莫大な富と権力を持つ東西の要だったのです。
街の中心にあるサン・マルコ大聖堂は、まさにアドリア海の女王の権力の象徴。荘厳な装飾は見る人の心を奪いますが、よく観察するとビザンツや中東文化の影響も見られ、街の複雑な「交友関係」のシンボルととることもできます。
美術史を勉強していて面白いなぁと思うのは、必ずしも友好関係ではない相手(例えば戦争中の相手)との間でも、美術言語の交換が生まれるということです。憎んでいる相手の文化であっても、美しいものは等しく人の心を打つ、ということでしょうか。
ヴェネツィアを訪れる際は、景観の美しさに加えて、アドリア海の女王の絶大な権力をアートの中に見出すのも醍醐味の1つです。
イタリア世界遺産④:ピサのドゥオーモ広場/ピサの斜塔
ピサ, ドゥオーモと斜塔(筆者撮影・井上はな)
ピサの斜塔が街のシンボルであり、今でも多くの観光客が訪れる街、ピサ。フィレンツェから電車で約1時間で行ける距離で、街自体はかなりコンパクトなので日帰り旅行も十分可能です。ピサは中世には海洋で栄えた歴史があり、15世紀初頭にフィレンツェの支配下になってからも重要な街であり続けました。
学問でも栄え、1343年に創設されたピサ大学はイタリア最古の大学の1つ。伝説上ではガリレオが斜塔から鉄球を落としたと言われますが、彼はピサ大学の教授を勤めていました。
もちろん、ピサの斜塔は街の顔。しかし、「ピサの斜塔の写真を撮って観光終わり」にはしないでほしい!!
美術好きなら絶対に訪れてほしいのが、ピサの斜塔のすぐ隣にあるシノピエ美術館。シノピエ(Sinopie)とはイタリア語でフレスコ画の下書きを指す言葉で、ピサには非常に珍しい下書きを鑑賞できる美術館があるのです。
フレスコ画は、湿った漆喰の壁に顔料で絵を描く壁画技法です。化学変化を利用して色を定着させるため、やり直しがきかず入念な準備が必要な特徴があります。「シノピエ」はもともと赤茶色の顔料を指す言葉で、フレスコ画の絵画層を塗り始める前に配置や構図を決めるために用いられるものです。
ピサのシノピエ美術館(カンポサント墓地)には、もともと死や復活をテーマにした壮大なフレスコがありました。しかし、第二次世界大戦中の1944年、爆撃によりフレスコ画が破壊され、絵画層が剥がれ落ちてしまいます。
絵画層を失ったことにより、下書きであったシノピエ部分が表出。下絵は基本的には絵画層に隠されているため、フレスコ画のシノピエを全体的に見ることができるのは稀であり、結果的に下書き層のまま保存されることになりました。
「下書きなんて見て面白いの?」と思われるかもしれませんが、これが、面白いんです!
芸術家によって、どの程度精密に下書きをするかの個性がでます。落書きのようにささっと配置だけ描き残す人もいれば、人物の表情まで細かく決めておく人も。
ここまで大々的に下書きを鑑賞できる場所はなかなかありませんので、美術好きの方、斜塔だけでなくシノピエ美術館もおすすめです!
