幸せは自分の心がきめる|大石祐助

幸せは自分の心がきめる|大石祐助

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。

涙はこぼしてもいい。けれど目はそらすな。じぶんがきめるのだ。

 

今にもシンジくんがエヴァンゲリオンに乗り込みそうなほど、仕事により極限状態になった心と体を癒やすべく、富山県は宇奈月温泉にやってまいりました。

名湯・宇奈月温泉にやってまいりました

温泉をぞんぶんに楽しむために、昼過ぎには今回泊まる昔ながらの温泉旅館にチェックインをします。客室に荷物を置き、早足で大浴場へと向かう。

 

大浴場には大正時代の趣を感じる内湯と露天風呂がそれぞれひとつ。そして、四人入れば満員になる昔ながらのドライサウナがひとつ。

このドライサウナ、昨今の洗練されたサウナとは違うのが逆によろしい。なぜなら、サウナを目的とした宿泊客はおらず貸切なのですから。

 

ひとりきりのサウナ室で聞こえるのは、自分の息づかいと心の声。

ひーふーという呼吸と共に「お昼に駅前の食堂で食べたかき揚げ丼美味しかったな」「はて今晩のごはんはなんだろう」「まいど連休にひとり旅をして私の人生これでよかったのか」と、思考の種が浮かんでくる。汗と一緒に心と体の毒素がぬけきるまで、じっくりとあぐらをかく。

お昼の食堂で食べた富山名物白エビのかき揚げ丼

サウナ室を出て水風呂へ。もちろんこちらもひとり占め。

90秒間、どぶんと肩までつかる。その姿を見ていた小学生の兄弟が「みてみて、あんひと、あない冷たい水に長いこと入ってるううう」と、まるでバルタン星人に立ち向かうウルトラマンを見るかのような眼差しを向けてくる。

 

水風呂からあがり、そんな小学生兄弟の前で両手を腰にあて仁王立ち。じゅわっち。

二十も歳の離れた子どもにしか勝ち誇れるものがない大人なのです。どうか大目に見てください。へやぁっ。

 

 

サウナを三セット終え、名湯宇奈月温泉の湯につかります。

温泉に明るくはないのですが、ぬめっとした湯から泉質が良いのはわかる。だが、数分で、もう暑いとカラータイマーが鳴り始めたので、大浴場を後にする。

 

俗世からの逃避行を完成へと導くのは、いつだってビールである。

旅館のロビーにある売店に向かい、キンキンに冷えた宇奈月ビールを購入する。ここまで一滴の水も飲まずにいた。乾き切った身体にビールを注ぎ込むために。

 

部屋に帰って飲むのでなく、ロビーで煽るのもまた良し。

だって、部屋に戻っても誰もいないんだもん。チェックイン客や売店を見物する客で賑わうロビーで、すこしでも寂しさをまぎらわせたいじゃない。

 

ソファに深く腰掛け、缶ビールのプルタブを引く。

ぷしゅっ。これこそ幸福へのファンファーレ。黒部ダムの大放水よろしく喉へとビールを流し込む。うばばばば。現実の輪郭がすこしずつ曖昧になっていく。

 

腕を組んで浴衣を選ぶカップルや駆けまわる子どもを注意するファミリーが、ぼやけて見える。酔っているのかな。ウルトラの戦士に憧れていた頃、休日に好きな人たちと温泉宿に旅行することこそが、しあわせだと信じていた。

ん? おかしいな、ますます視界がわるくなっていく。

 

ふと、昼に訪れた食堂に飾られていた標語を思い出す。

 

「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる みつを」。

 

そうだよな、みつを先生。

しあわせの尺度は個人によって違うのだ。休日にひとりで自由に旅行し温泉とサウナで癒されビールを飲むなんて、しあわせそのものではないか。

 

わたしは独りを愛し、独りに愛された、孤高の戦士なのだ。

手の甲で涙をぬぐい、ロビーで嬉々とする群衆に向けてスペシウム光線を放ち、再びビールに口をつけた。

宿のロビーで嗜む宇奈月ビールと岩波文庫

配信元: 幻冬舎plus

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