夫の行き先は……
一度電車を乗り継ぎ、とある駅で夫は降りた。すぐさま電話で話をしている。そのままコンビニに寄って買い物をすると、足早に歩いていく。夫が入っていった建物は、どこにでもあるような7階建てのマンションだった。
「エレベーターに夫が乗り込んだとき、ダッシュで私も乗り込みました。マスクと眼鏡で変装していましたが、夫はぎょっとしたみたい。エレベーターのランプは7階になっていました。『どういうことか説明してくれない?』と言ったら、夫は黙り込みました」エレベーターが7階で止まり、ドアが開いたが夫は降りようとしない。彼女は開くボタンを押したまま、夫を後ろから蹴るようにしてふたりで外に出た。
「いや、頼むよとかなんとか夫はごにょごにょ言っていました。『私は冷静だから、とりあえずあなたが行くべきところへ行って』。うちの夫、どこか気が弱いところがあるんですよ。それでとうとう、ある部屋の前で止まった。私がチャイムを鳴らすと、中から『はーい』という若い女の声。ドアが開いたとき、嘘でもなんでもなく、私はひっくり返りそうになりました」
若い女性と暮らしていた夫。女性の正体は……
顔を覗かせたのは、小学生の娘たちを夕方からめんどうみてくれていた、リョウコさんの親戚の女の子だったからだ。「腹の底から、ハア? という声が出ました。彼女に来てもらっていたのは最初の2年くらい。遠方の大学に合格したというので、その後はあまり連絡をとっていなかったんですが、顔はもちろんはっきり覚えていました」
ふたりを前に、リョウコさんは呆(あき)れて物が言えなかった。夫は、数年前にばったり再会して、仕事の相談を受けているうちにこういうことになって……と、またごにょごにょ言った。「1DKの狭いマンションだからベッドなんかすぐそこにあるわけですよ。男と女の欲望の匂いが漂っているような気がしました」
青くなって震えている親戚の女の子に、リョウコさんは言った。
「この人、あなたにあげるから。ただうちはまだまだ娘たちの学費がかかるの。生活費と学費だけは払い続けてもらいますから」
そのとたん、女の子は「いえ」と言った。「あの……連れて帰ってください」
「いらないわよ、あげるって言ってるでしょ」
立ち上がってマンションを出たリョウコさんだが、腹を立てるべきなのにあまり立たない自分を感じていた。その翌日、夫が「帰っていいかな」と連絡してきたので、「帰らなくていいよ」と絵文字つきで送ってやったという。
それがつい半月ほど前のこと。「夫の同僚から連絡が来まして、このところ夫は本当に会社に泊まっているそうです。彼女にフラれたんでしょうかねえ」
リョウコさんはまだどうするか決めていない。離婚も頭にちらつくが、そういう煩(わずら)わしいことはしたくないのも本音。かといって何もなかったかのように夫を迎え入れるのも悔しい。ただ、罰を与えなくてはという気持ちもない。
「もしかしたら、私、夫に対して無関心になっているのかもしれません。憎むよりもっとよくない関係なのかな」
しばらくはこのまま過ごし、心の赴(おもむ)くままに決めたいのだが、父親に会いたがっている下の娘のことを考えると「早く決めたほうがいいのかな」とも思う。答えのでない「めんどうなこと」に巻き込まれたのがいちばん腹立たしいと彼女は笑った。
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio

