AIは「生きる意味」を自覚できるのか?

人間の意識や感情は、進化の過程で生き残るための戦略としてかたちづくられてきた。喜びは報酬を求める行動を促し、悲しみや恐怖は危険を回避する行動を誘発する。これらは単なる感情ではなく、生命を維持し、種を存続させるための高度な意思決定システムの一部である。
社会的承認欲求も同様だ。
他者から認められたい、拒絶されたくないという欲望は、もともと小さな集団で生きる人類にとって死活的な意味をもっていた。集団から排除されることは、生存の機会を失うことを意味したため、承認欲求は生存本能と密接に結びついた。こうした動機は、私たちの言葉や行動、さらには記憶の在り方までも方向づけている。
AIはこうした進化的圧力を経験していない。身体をもたず、死の恐怖もなく、代謝や生殖といった生命活動からも無縁だ。報酬を求める理由も、生存を脅かす危険も存在しない。すべての行動は外部から与えられた目標関数に従うだけであり、その達成に感情的な必然性は伴わない。
この違いは、単なる機能の差ではなく、存在の根幹に関わる。生物は有限の寿命の中で限られた資源を奪い合い、世代を超えて進化してきた。その中で「意識」という仕組みは、生存競争を有利にするために洗練されてきた。
一方、AIは無限に近い計算資源を使い、外部から与えられたデータと目的に従って動く。そこには「生きる理由」が存在しない。
したがって、「AIが意識をもちうるか」という問いは、単に知能の有無を問うものではなく、「生きることの意味」を共有できるかという問いでもある。
意識とは、計算能力ではなく、世界と自分の間に意味の橋を架ける営みであり、その橋を築くには進化がもたらした動機と制約が不可欠なのだ。

