華やかな造形が生まれた理由とは?
地形が育んだ、独立した文化
縄文時代中期、本州のほぼ中央に位置する「中部高地」は、日本で最も人口が密集していたエリアでした。 特に八ヶ岳の標高800mから1000mにかけては、驚くほどの勢いで集落が増えていきました。
八ヶ岳は南北約25㎞の距離に20の峰が連なる山々の総称です。そこから流れ出る湧水は多くの川となり、谷と川に挟まれた「細長い台地」を数多く作り出しました。人々はその台地に集落をつくり、川を集落の境界線としながら、それぞれ独立した集落として営みを始めたのです。
こうした独立性の高い集落同士が、共通の土器の形・文様を根底に持ちながらも、競いあうようにして独自の表現を生み出していきました。そうしたことで、二つとして同じもののない、個性豊かな造形が次々に形づくられていったと思われます。
キラキラ輝く黒曜石の存在
これほど豊かな造形を土器に反映できたのは、食料が豊富で、余暇を楽しめるほど生活にゆとりがあったからだと考えられます。
八ヶ岳周辺は良質な黒曜石の一大産地でした。鋭く、美しく輝くその石は、当時の人々に「空から降り注いだ星の欠片」と信じられていた、というロマンあふれる言い伝えも残っています。
黒曜石はナイフや鏃(やじり)の材料として需要が高く、特にこの地域のものは極めて高品質でした。掘り出された黒曜石は集落から集落へと運ばれ、それらを結ぶルートは「黒曜石の道」となり、各地との行き来が盛んになりました。
さらに興味深いのは、黒曜石は単なる実用品の枠を超え、精神的な意味を持つようになります。集落の入り口に大型の原石を安置した例などは、それが富や地位を象徴する宝物であったり、あるいは不思議な力を持つパワーストンであったことを物語っているようです。
いわば「日本最古のブランド」とも言える八ヶ岳の黒曜石は、人・物・情報の盛んな行き来を生み出し、この地を豊かな交易の拠点として発展させていきました。こうした黒曜石の恩恵が多くの集落にもたらされたことで、各々が創造性豊かな縄文土器を生む余裕を持てたと考えられるようです。
