目覚ましい進化を遂げるAI技術は、今や忠実な人格シミュレーションを作ることすら可能にしつつある。しかし、言葉や態度を模倣しただけで、感情のない存在を「私」として認められる人は少ないだろう。では、「私」の脳をコピーし、意識を再現することができたらどうだろうか。
睡眠研究の第一人者である筑波大学の櫻井武教授が、意識の役割と“自分”の正体に迫ったサイエンス新書、『意識の正体』。本書より、一部を抜粋してお届けします。
* * *
あなたに似たAIは、「あなた」だと言えるのか?
「死」は、意識の終焉である。
だが未来のテクノロジーは、その「終わり」すら書き換えていくのかもしれない。もし私たちの意識をデータ化し、デジタルにコピーし、保存し、未来によみがえらせることができたなら――それは「死を超える意識」なのだろうか。
今、人工知能(AI)技術の中心にあるのは機械学習、とりわけ「ディープラーニング(深層学習)」である。
これはコンピュータが大量のデータを解析し、その特徴を抽出・最適化する手法であり、十分な量の教師データ(正解ラベル付きの学習データ)を与えることで、目的に応じた出力が自動化される。AIが、結論に至るような思考過程を構築するこの技術の背後には、「ニューラルネットワーク」と呼ばれる階層的なアルゴリズムが存在する。
AIの進化は目覚ましい。囲碁AI「AlphaGo(アルファ碁)」がトッププロ棋士を破ったことは記憶に新しいが、これは知的ゲームにおいても人間を凌駕する可能性を示した。ビッグデータの蓄積と計算処理能力の飛躍的向上が、かつて想像もできなかったような革新を現実のものにしているのだ。
こうした技術を用いれば、特定の個人の生活史や発言、振る舞い、環境要因(時間、温度、会話の文脈など)を大量に学習させることで、きわめて忠実な人格シミュレーションをつくり上げることが可能だ。
たとえば、あなたが「どのように話すか」「どう反応するか」を正確に予測するAIが生まれれば、それは第三者には本物と区別がつかないほどの忠実さをもつかもしれない。
だが、それは本当に「あなた」なのだろうか。
言葉や態度を模倣した機械に、感情はあるのか。主観的な意識はあるのか。残念ながら、そうとは言えない。
AIは、確率的に最適な出力を生成しているだけであり、自己意識や情動体験をもっているわけではない。第三者にはあなたと同じように感じ、行動するように見えたとしても、あなたと同じ「内的世界」はもっていない。感情はもとより自己であるという意識、自尊心、他者との関係性を感じる力などがことごとく欠けているはずだ。
ここで議論したいのは、模倣ではなく、意識そのものの複製についてである。誰かの脳の働きをそのまま機械上に再現し、それが主観的な「私」を意識しうる存在になるかどうか――つまり「マインドアップロード」の可能性だ。
意識のコピーは可能か?

現在のコンピュータは人間の脳とは大きく異なる作動様式をとっている。
私たちが経験する認知とは、視覚・聴覚・触覚などの感覚系がリアルな世界の情報を取り入れ、それを生き生きとしたイメージとして脳内で再構成することで成り立っている。
街の色彩、音、匂い、触感――それらは視床を経由して大脳皮質に届けられ、世界観を構築させる。注意によって感覚情報が選別され、意識の内容が構成される。記憶はその基盤にあり、過去の経験を参照することで現在の状況を判断する。こうした情報処理の統合が、私たちの意識を導いている。
だが、さらに認知には感情が伴う。リンゴを見れば食欲や懐かしさが生まれ、毛虫を見れば嫌悪感が湧く。情動は大脳辺縁系と視床下部の協働によって生じ、それは内分泌系や自律神経系とも連動する。つまり、認知は情動と別々のメカニズムで並列的に起こり、それらを統合する場が前頭前野である。
この前頭前野の神経回路こそが、感覚、記憶、情動、注意、そして行動選択をひとつにまとめ、私たちに「クオリア」、すなわち主観的な体験をもたらす。
意識とは、世界との関係性の中で「今、何かを感じている」主体的な経験を指すともいえるだろう。情報が処理されているだけではなく、それを「感じている私」がいるという構造こそが意識の本質である。
意識は、こうした多層的かつ動的な神経処理に支えられており、さらにそのもととなる情報の多くの部分が「無意識下」で制御されている。このような構造は、従来のコンピュータ的処理とは大きく異なる。
人間の脳は直感的に判断し、気分や情動に左右され、今まで見てきたように、「無意識」の働きに強く影響を受ける。これを模倣することは容易ではない。

