中野真典=絵「無有」
先日まで店のギャラリーでは、本屋Title10周年記念展「本のある風景」を開催していた。
10名の作家に、「本のある風景」という言葉から連想する作品を描いていただく企画で、作品は本にも収録するため、昨年の初秋には既に手元にあった。だからそれ以降何度もくり返し見て、よく知っているはずだったが、展示の前日すべての作品を壁に掛け終え、ぐるり空間を見渡してみると、それらの絵がひと繋がりの作品のようにも見えてきて、新たに生まれた一つの空間としての力に思わず息をのんだ。絵も本と同じで、別の絵と並べられたときにはじめて生まれる〈響き〉があるのだ。
展示を見た人たちからも、会場全体が祝祭感に包まれていたという言葉を数多く聞いた。それは階下にいても感じたことだが、わたしが何より心打たれたのは、それぞれは別の場所で別の人によって描かれた絵であるにもかかわらず、まるで示し合わせたかのように、作中の人物が同じポーズをとっていたことだった。
アンドレ・ケルテスという写真家に、人が熱心に本や新聞などを読んでいる瞬間を捉えた『読む時間』という写真集がある。読んでいる人たちの姿勢は大抵が前かがみ。その少し前屈した格好は、彼らの興味やなりたい自分に向かって、積極的に体を傾けているようにも見える。それと同じように絵に描かれた人物たちもみな、大切なものをそっと両手で包み込むように、熱心に本を読んでいる――そうした姿に思いがけず触れ、わたしは希望のようなものを感じたのだった。
しかし一冊の本は、誰にでも開かれているという訳ではない。
荒井良二さんがつくったのは、その中にたくさんの絵が描かれた小さな手製の本を、そのままキャンバスに貼り付け、カラフルな色で塗りこめた立体作品だ。本はピンクの紐で軽く閉じられており、中を見ることはできない。荒井さんが店に作品を持って来られた際、「中は(お客さんに)見せなくてもいいよね」と言われ、その時は真意がわからぬまま了承した。しかし本とはそれを開いた人にだけ、その秘密を小さな声で語りかけてくれるメディアでもある。それを考えれば、みなが自由に開くことができない本があっても不思議ではないだろう。大切なわたしだけの本()だから、それを開くときの姿は、自然と慎ましい、ひっそりとしたものになるのだ。
一冊の本は、それを読むわたしにだけ語りかけてくるが、それを読むときの姿は、年齢や性別、居住地や思想信条の違いを超えてみな同じ。そう口にしたところで、目の前の複雑な現実が変わるわけではないが、本の仕事に携わる人間として大切にしておきたいイメージだと思った。

10周年に関しては、もう少しさらっと流した方がスマートな印象で終わったかもしれない。しかし今回は展示に限らず、アニバーサリーブックを作り、巾着を作り、バッグまで作るなど、自分でもちょっとやりすぎかなと思うくらい興行感が出てしまった。しかしそれをきっかけに、久しぶりに店まで来てくれる人も多かったから、やはり物事を長く続ける上で、節目というものは意味のあることなのだと思う。開店や閉店でなくても人を呼び込むことができたから、店の地力を知る意味でもよかった。
思えばこの10年は、「いま」という瞬間の連続を夢中で生きてきただけであった。そしてそのことはこれからも変わらないだろう。
「いま」が「いま」を押し出し、その「いま」もすぐに過去となる。そうした「いま」の綱渡りを、これからも続けていく。
今回のおすすめ本

『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』本屋Title=編
10年目にしてはじめて自主制作したアニバーサリーブック。本が出入りし人が行き交う様子を記録に収めた、これぞTitleという一冊。
本屋Titleのみでの限定販売。在庫僅少です。

