ルネサンス期における変化。「芸術家」への注目
レオナルド・ダヴィンチ, Leonardo da Vinci - presumed self-portrait - lossless, Public domain, via Wikimedia Commons.
15世紀から16世紀にかけてのルネサンス期に、状況は徐々に変化し始めます。イタリアを中心に、制作者たちの社会的地位が向上したためです。
この変化を象徴する人物の一人が、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)。彼は単なる職人ではなく、科学者や思想家としても活動し、絵画制作を知的な営みとして位置づけようとしました。
ダ・ヴィンチより少しあとの時代に活躍したジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)が1550年に出版した『芸術家列伝』は、この変化を象徴する重要な文献です。この本では、ダ・ヴィンチやミケランジェロ(1475-1564)といった制作者たちが、単なる職人ではなく、天才的な個人として描かれています。ヴァザーリは、制作者の生涯や個性、作品に込められた創意工夫を詳細に記述することで、彼らを特別な存在として位置づけようとしました。
似たような理由から、ミケランジェロの《ダビデ像》(1501-1504)は、この時代の変化を体現する作品です。この彫刻はフィレンツェ共和国の依頼を受けて制作されましたが、単なる宗教的な像ではなく、共和国の理想を表現する政治的シンボルでもありました。
ミケランジェロ『ダヴィデ像』, Michelangelo's David - right view 2, Public domain, via Wikimedia Commons.
そして何より、《ダビデ像》における「ミケランジェロという個人の卓越した技術と創造性」が称賛される対象となったのです。作品を造る職人という立場を抜け出し、芸術家個人にスポットライトが当てられたのがこの時代でした。
ただし、この時期の作品もまだ完全に「鑑賞のため」のものではありませんでした。依然として教会や宮廷、裕福なパトロンの依頼を受けて制作されるものがほとんどで、宗教的・政治的な目的を持っていました。
「美術(Fine Arts)」という概念の誕生
芸術家個人の能力に焦点が当てられるようになった一方で、ルネサンス以降も宗教的・政治的プロパガンダとして活用され続けてきた美術。何を日本語で美術と訳するのか、ということはいろいろな見解があるかとは思いますが、ここでは平たく「美術」として話を進めていきましょう。
「美術(≒アート)」が明確な概念が確立されたのは、18世紀のことです。1746年、フランスの哲学者 シャルル・バトゥー(1713-1780)は『同一原理に還元された美術』という著作の中で、美的な快楽を目的とする芸術」を他の技術から区別しました。
彼は絵画、彫刻、音楽、詩、ダンスを「fine arts(美術)」として分類し、これらは実用性ではなく、美を追求することを目的とすると定義しました。
この概念の誕生は、啓蒙時代の思想と深く結びついています。18世紀のヨーロッパでは、理性と感性、知識と美についての議論が盛んに行われました。哲学者たちは、美的な経験には特別な価値があり、それは道徳的・知的な成長につながると考えるようになりました。
この思想的な変化と並行して、制度的な変化も起こりました。1648年にフランスで設立された王立絵画彫刻アカデミーは、絵画と彫刻を自由学芸(リベラル・アーツ)の一部として位置づけ、職人的な技術から知的な営みへと格上げしようと試みます。アカデミーは、単なる技術指導だけでなく、解剖学や遠近法、古典文学などの教養教育も行われる場所でした。
18世紀後半になると、一般の人々が美術作品を鑑賞できる場所も登場し始めます。1793年に開館したルーヴル美術館は、かつて王室が所有していた作品を公開し、市民が自由に鑑賞できる空間を提供しました。
これは革命的な出来事です。美術作品は、もはや王侯貴族や教会だけのものではなく、「市民社会全体の文化的財産」として認識されるようになったのです。
