●「迷惑をかける報道」抑える日本メディア
メディアを取り巻く状況も厳しい。
日本独特の言い回しに「報道か、人権か」という対立表現があるが、これを欧州や米国で口にすると、相手は混乱する。
世界人権宣言19条が示す「報道・情報こそ人権」という感覚とは逆だからだ。迷惑を避け、報道や情報を抑えることを道徳とみなす通奏低音は、メディア界にも浸透している。
エプスタイン文書に日本人や日本企業が登場するといっても、違法行為だと裁判所が認定したわけでもない。
大したことでもないのに、書くと「人権」を損なう、配慮を欠く、やめといたほうがいい、という傾斜がかかりやすい。

●「べからず」よりも「知らせる報道」へ
10年前のパナマ文書報道の際、当時の米大統領オバマは「これは合法だ。だからこそ問題なのだ」と述べた。つまり、こんなことが合法でいいのか、報道と議論が必要だという姿勢だ。
だが、日本ではこうした挑発的な報道を尊ぶ声はなかなかない。
その一端が、日本独特の匿名化圧力である。パナマ文書報道でさえ、日本では一部で企業名や人名を自主的に匿名化した報道があり、世界的にも特異だった。
報道界が経済的に厳しく、消極的になりやすい時代、市民のよりよい情報環境のためには、「べからず論」よりも「知らせるべきことを知らせる報道倫理」への適切な支援が必要だろう。
各国には、記者をSLAPP訴訟や不当な取材拒否から守り、公的機関の過剰な情報秘匿と闘う弁護士団体が数多くある。

