ドイツからやってきた皇太子妃
ルーカス・コンラート・プファンツェルト『ロシア皇帝ピョートル3世の戴冠肖像』, Public domain, via Wikimedia Commons.
エリザヴェータ女帝は即位後まもなく、ホルシュタイン公国の首都・キールに特使を派遣しました。甥のペーター・ウルリヒを後継者として迎え入れようとしたためです。
生涯独身であったエリザヴェータ女帝は、後継者を定めることで権力を安定させようと考えました。
ピーターは当時、ロシアと敵対していたスウェーデン国王の後継ぎ候補でもあったことから、血縁者同士の戦争を防ぐという狙いもあったと言われています。
こうして、当時14歳のペーターは皇太子としてロシアに入国し、ピョートル・フョードロヴィチと名乗ることとなりました。
このピョートルこそが、のちにエカテリーナ2世の夫となる人物です。
アンナ・ロジーナ・デ・ガスク『ロシアのピョートル3世とエカテリーナ2世』, Public domain, via Wikimedia Commons.
エリザヴェータ女帝が皇太子の妻として狙いを定めたのは、ドイツ生まれの貴族令嬢・ゾフィーでした。ゾフィーはピョートルから1年遅れてロシアに入国し、名をエカテリーナ・アレクセーヴナと改めました。
外国人でありながら皇太子妃となったエカテリーナでしたが、ロシア語を猛勉強し、ロシア正教に改宗するなど徹底してロシアの文化に同化するよう努めました。
エカテリーナの勤勉さとロシアへの愛国心には高い評価の声が多くあがり、一部ではエカテリーナを摂政として国の実権を握らせるという意見もあったほどでした。
一方で、同じく外国で生まれ育ったピョートルの方は、ロシアに対する愛国心もなく、酒浸りで堕落した日々を送っていました。
エカテリーナか、ピョートルか。どちらを後継ぎにするかはっきりした答えを出せないまま、エリザヴェータ女帝は1761年に急死してしまったのです。
倒したのは自分の夫。33歳で皇帝の座へ
ステファノ・トレッリ『エカテリーナ2世(戴冠式の肖像)』, Public domain, via Wikimedia Commons.
エリザヴェータ女帝の死後、皇帝・ピョートル3世が誕生しました。新しい皇帝は、エリザヴェータ女帝とは対照的にプロイセン式の流儀を宮廷に取り入れていきました。
当時、プロイセンとの7年戦争で、ロシアの勝利は目の前に迫っていました。しかしピョートル3世は、対立していたプロイセンのフリードリヒ大王と突然和平を結んでしまったのです。
エリザヴェータ女帝がマリア・テレジア、ポンパドゥール夫人とともに進めていた同盟は、勝利を目前にしてあっけなく終了してしまいました。
外国人でありながらロシアへの愛国心を抱き、努力を続けたエカテリーナ。そして、ロシアよりもプロイセンに同調したピョートル3世。
価値観の違いからか、夫婦の間には冷たい風が吹き続けていました。
ついにエカテリーナは夫に反旗を翻し、彼を皇帝の座から引きずり下ろしました。諸説ありますが、ピョートル3世は退位を迫られた直後に殺害されたと考えられています。
こうして、のちに“大帝”と呼ばれるエカテリーナ2世が誕生したのです。
