政策決定の現場での「方針転換」
日本の医療制度改革の方向性は、2025年6月に発表された「骨太の方針」に示されています。その内容を注視することは重要です。
自維連立政権の合意書には、社会保障政策に関わる複数の項目が記載されていますが、特に注目すべきは三つの項目です。第一は「OTC類似薬を含む薬剤自己負担の見直し」で、セルフメディケーション(市販医薬品の自己購入)の拡大が示唆されています。第二は「国民皆保険制度の中核を守るための公的保険の在り方及び民間保険の活用に関する検討」で、公的保険の範囲縮小の可能性が暗示されています。そして第三が「医療の費用対効果分析にかかる指標の確立」です。
興味深いことに、この費用対効果に関する政策方針には重要な変化が見られます。最初に発表された骨太の方針原案(6月6日付け)と、その後に閣議決定された版(6月13日付け)を比較すると、表現に微妙だが明確な違いが現れています。原案では「拡大する」「強化する」という積極的な表現が使われていました。しかし閣議決定版では、「客観的検証を踏まえつつ、対象範囲や実施体制の検討とあわせて」という慎重な但し書きが加わったのです。
さらに自維連立の合意書では、「費用対効果制度の推進」ではなく、「費用対効果分析にかかる指標の確立」という限定的な表現に変更されています。これは、政策決定の現場で、費用対効果評価の信頼性についての懸念が生じ始めた可能性を示唆しているのです。
同じデータから10倍異なる結果が生まれる理由
費用対効果評価の最大の問題は、その数値の不確実性にあります。同じ臨床試験データを使いながら、分析方法の選択次第で結果が劇的に変わるのです。
実例として、片頭痛治療薬「エムガルティ」の評価が挙げられます。「ICER」(費用対効果の指標で、医薬品Aから医薬品Bに置き換えたときに効果と費用の増分から費用効果比を算出したもの。この値が高いほど費用対効果が悪いとされ、通常500万円を超えると価格引き下げが検討される)という数値で、企業側の分析では600万円という結果が得られました。ところが、医療行政側の公的分析では6000万円、さらに別の分析では1100万円という結果が出ています。同じ医薬品で10倍近い開きが生じているのです。
この違いは何から生じているのか。それは「健康状態を測る指標」の選択の違いなのです。「QALY(質調整生命年)」と呼ばれる指標では、人の健康状態を「移動の程度」「身の回りの管理」「普段の活動」「痛みや不快感」「不安やふさぎ込み」という五つの項目で評価し、それぞれを1~5で採点します。その結果から換算式を使って、0~1の数値に変換するのです。
片頭痛のような間欠的な症状が出る病気では、一般的な指標を使って偶然その日に頭痛がなければ、実際の状態以上に良好な数値が得られてしまいます。一方、片頭痛に特化した指標を使えば、より実態に即した評価が可能になります。企業分析と公的分析では、こうした指標選択が異なっていたのです。
さらに複雑なのは、同じ健康状態でも、その国の換算式によって得られるQALY値が大きく異なるということです。日本の換算式を使った場合と、海外の換算式を使った場合では、全く同じ健康状態でも異なる数値が生まれるのです。

