まとめ
江戸時代にごく一部の人だけに共有されていた「縄文」は、明治時代になると日本の原始文化を知る手がかりとして様々に描かれ、多くの人々の前に現れました。
立場や描く目的、そのものを見る目が異なる描き手が同時に存在していたことで、後に続く大正・昭和の時代に、学問としてだけではなく、アートとしても受け取られるようになっていったのです。
*参考資料
・「ハニワと土偶の近代」展覧会図録 東京国立近代美術館
・「日本考古学は品川から始まった」展覧会図録 品川区立品川歴史館
・「江戸のスーパー科学者」 中江克己 宝島社
