弁当の配達先で、老老介護状態のF岡さんご夫婦に出会いました。ご主人が奥様の介護をしているとのことでしたが、5年後思ってもいなかった展開に……。私は弁当配達のパートを通じ、さまざまな高齢者と出会いました。老いと向き合いつつ、日々を過ごす様子にいつも心が揺さぶられます。もしかすると、親族さえ知らないかもしれない、そんな高齢者の日々の実態を垣間見た、弁当配達員の体験談です。
妻を介護し、家を守るしっかり者のご主人
F岡さんご夫婦は80代。昭和期に建てられた住宅に2人でお住まいでした。ガレージにはすでに免許返納されたのか車はなく、すっきりと剪定(せんてい)された盆栽が並んでいました。玄関周りも片付いていて、整った家だという印象でした。奥様の体が悪く、ご主人がすべてを管理されていると聞いていました。
門から玄関まで長くて急な階段がある家で、私はいつも気合いを入れて上っていました。ようやく玄関に着いてインターホンを鳴らすと、暗い廊下の奥から「ドン、ドン、ドン」と力のある規則的な足音がして、ガチャっと鍵が回ります。現れたのは大柄なご主人で、「おう、ご苦労様」と声をかけて2人分の弁当を受け取ってくださいました。毎回こんな感じで、留守だったことはありませんでした。
実はこの家に配達を始めた当初、私はよく叱られていました。ご主人は何しろ几帳面で、配達時間が10分でも遅くなると「今日は遅いな! 事前に連絡ぐらいしないか!」、また、突然のキャンセルなどF岡さんの都合で領収書が遅れた際も「まるでなっていないな! こういうことこそ、迅速に対応するもんだ、商売ならキッチリとな!」とのお言葉。現役のころはさぞかしバリバリ仕事のできる方だったのだな、と、気を引き締めることが度々ありました。その後こちらが丁寧に対応していく中で、どうにかF岡さんの信用を得ていくことができたように思います。
閉じこもった暮らし、そして急速に訪れた衰え
しかし、頑強に見えたF岡さんのご主人でしたが、私が弁当を配達した5年間のうち、最後の1年に事態は急速に変化していきました。
インターフォンを鳴らしてから玄関にご主人が出てくるまで、時間がかかるようになりました。廊下の壁に手をつきながらぎこちない足取りで出てこられる様子が、足音からわかりました。また、時折玄関の段差にふらつくようになり、私が「危ない!」と手を差し出す場面も増えました。ご主人が頭に包帯を巻いて現れ、「ちょっと家の中で転んでしまってな」と力ない言葉を聞いたこともありました。声に以前の威勢はなく、「わしもだいぶ弱ってきたな」と苦笑いを浮かべていました。
あるとき、ご主人は私の顔をじっとのぞき込んでため息をつき、「わしはもうダメだ。マスクの下のあんたの顔も見ないままになる。あぁ、惜しいのぉ」と、厳格だったF岡さんらしからぬ発言でした。私は言葉に迷いながら、「マスクを外したら私は意外に老けていて絶対驚かせちゃいますから、もう少しF岡さんが元気なとき見せましょう」と返答。2人で笑い合いました。私は、あの気丈だったご主人が衰えに対して不安になっているのを感じて、切なくなりました。

