
2月17日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回は番組初となる公開収録イベントのようすが映し出された。東京・有楽町のホール「I'M A SHOW」に集まったファンの前に、「最強の1番打者」と呼ばれた元阪神タイガース・真弓明信と、「絶好調男」こと元読売ジャイアンツ・中畑清のレジェンドコンビが登場。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに、“花の28年組”にまつわる秘話や知られざる入団エピソードを語り尽くした。
■球界を彩る「28会」の意外な第一印象
2人は1990年に設立された「プロ野球28会(ニッパチ会)」の会長(中畑)と副会長(真弓)を務める盟友。真弓が「28会のメンバーで5人監督がいるんですよ」と紹介した通り、落合博満、田尾安志、梨田昌孝ら錚々たる面々が同学年に並ぶ。徳光も「球界のレジェンド、リーダーですね」と、その層の厚さに改めて驚きを見せた。
同じ時代を歩んできた2人だがプロ入りは真弓が1972年、中畑が1975年と、社会人を経た真弓が3年先輩にあたる。今でこそスター揃いの28会だが、真弓は「1年目から活躍した選手は少ないんですよ。遅咲きが多いよね」と分析。実際、中畑の一軍定着も4年目からで、2人が初めて顔を合わせたのは20代半ばになってからだった。当時、中畑は真弓の第一印象について「すごい垢抜けたいい男だと思って、“顔だけは負けたな”と思ったね」と振り返り、会場を大きな笑いに包んだ。
■喫茶店での会見に柄シャツ…個性派すぎる入団前夜
真弓が野球の道を志したのは小学5年生の時。原辰徳の父・原貢監督率いる三池工業高校の優勝パレードを見たことがきっかけだった。高校は福岡の強豪・柳川商業へ進んだが、そこでは「画びょうをスパイクに入れて走る」という衝撃のスパルタ教育が待っていたという。かかとを浮かせて足のバネを鍛えるための過酷な練習。しかし真弓が「僕だけ(画びょうを)下向きに刺していた。監督がいるときだけは、つま先を立たせて」と驚きの処世術を告白すると、観客は大沸きに沸く。
また、2人の対照的な入団会見のエピソードも披露された。真弓が社会人野球から太平洋クラブへ入団した際の会見会場は球場近くの喫茶店で、やってきた記者も6人という小規模な構え。「球団が(西鉄ライオンズから横浜太平洋ホエールズに)変わったばかりでわからなかったんでしょうね」と苦笑いする真弓だが、のちに阪神へ移籍した際のカメラ20台以上の熱狂ぶりには度肝を抜かれたという。
一方、巨人へ入団した中畑は当時のオーナーや長嶋茂雄監督らが同席する華やかな会見だったが、徳光から「柄のシャツを着て入団会見に臨んでましたね」と突っ込まれる一幕も。「当時は学ランの上からユニフォームを着るのが常識だったでしょ。だから下に着るものなんか考えてなかった」と釈明したものの、徳光は「趣味がいいとは言えないね」と一蹴。会場には再び爆笑が起こる。
中畑にとって長嶋監督は「もう太陽ですよ」と語るほど絶対的な存在。「ミスター」と呼ぶのが夢だったが現役時代は叶わず、引退後のゴルフ場でようやく声をかけた時の「ん〜どうしたキヨシ?」という返事を「あの笑顔と言葉だけは、ずっと宝物ですね」と感慨深げに語った。さらに徳光からは長嶋が発熱した際に「う〜ん、熱が出ちゃってね。3割7分8厘(37度8分)」と答えたという“ミスター語録”も飛び出し、会場の熱気は最高潮に達するのだった。
■オフには中洲のスナックでアルバイト…不遇のパ・リーグ時代
番組後半、話題はパ・リーグの不遇時代へ。真弓が在籍した太平洋クラブは当時かなりの薄給で、12月と1月は給料がなかったという。飲み代のツケが溜まって支払いに困った真弓は、オフに福岡・中洲のスナックでアルバイトをしていたと告白。中畑が「何やってたの?」と具体的な仕事内容を問うと、真弓は「カウンターの中に入ってお客さんと話していた」と明かしてMC陣を仰天させる。
プロ野球といえば数千万円、億単位の年俸が当たり前に飛び交う世界だが、真弓のエピソードからは当時のパ・リーグの厳しい現実がうかがえた。一方の中畑は、「2軍でもオフシーズンはサイン会で黙っていてもお金が入ってきた」と、当時の巨人軍ならではの景気の良い話を披露。同じプロ野球選手でありながら球団やリーグによって天と地ほどの差があった現実に、会場からは驚きの声が漏れた。
それぞれの場所で泥にまみれながら、その活躍で日本中のプロ野球ファンを熱狂させた2人。その原点を知ることで、私たちが愛するプロ野球というドラマがいっそう深みを増したように感じられた。次週2月24日(火)の放送では、そんな2人が阪神・巨人の主軸となってからの物語が展開されるという。昭和から平成を駆け抜けたレジェンドたちの熱いトークの続きを心して待ちたい。

