暴力はなかった。それでも彼女の心は確実に削られていった──。
現在、通信制高校3年の伊東舞桜さん(17)は、中高一貫校に通っていた中学2年のころから、同級生による“見えにくい”いじめを受けてきた。
にらまれたり、無視されたり、自分だけ大事な情報を教えてもらえなかったり。その積み重ねは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されるほどの深い傷となった。
フラッシュバックや過呼吸はいまも続く。それでも舞桜さんは、茨城県内でいじめ経験者が交流する団体の副代表として活動し、今春進学する大学では社会福祉を学ぶ道を選んだ。
「同じように苦しんでいる人がいるから、私が動かなければ」。その言葉の裏には、長い葛藤の時間がある。(ライター・渋井哲也)
●暴力がないから、いじめじゃないと思っていた
小学校から中学校1年までは、大きなトラブルはなかった。吹奏楽部に入り、人間関係の摩擦が多少あっても、深刻な問題には発展しなかったという。
転機は中学2年の夏休み明けだった。同じクラスの女子生徒A子から、にらまれる、配布物を雑に扱われる、授業中にタブレットを見せてもらえない──。一つひとつは小さなことでも、心にはダメージが積み重なっていった。
母親に打ち明けたのは10月上旬、帰宅途中の車の中だった。
「“私の勘違いかもしれないけれど…”という言い方でした。当時の“いじめ”のイメージは、殴られるとか、はっきりした暴力でした。でも私はそうじゃなかったので、言い出せなかったんです」
10月末には、着物の着付け実習で選ぼうとした着物を奪われ、11月上旬には英語研修への参加も強くためらうようになった。授業間の移動が多く、A子とすれ違うかもしれないと思ったからだ。
学校側は教員を複数つけて登校を促したが、状況は好転しなかった。
11月10日、担任と学年主任が、A子との話し合いの場を設けた。しかし結果的に、双方が登校できなくなる事態となった。
「“私は何もしてないけど話し合ってあげるよ”という空気でした。その後、言い合って、泣いた記憶もあります。A子は『大丈夫?』と言って、ティッシュをくれました。
結局、お互いがダメージを負っただけで、意味があるとは思えませんでした。翌日からA子は登校できなくなり、そのことで、私が彼女を追いこんだという噂も広がりました」
●先生たちは、いじめと認めなかった
舞桜さんの母親は学校に相談したが、教員たちから「確認できない」「(A子は)にらんでいるのではなく、視力が悪いから』といった説明を受け、いじめとして扱われなかったという。
状況が動いたのは学年末、A子が転校するころだった。
「校長先生に直接話したところ、急に『いじめと認めます』と言われたんです。私と校長の出身高校が同じだとわかり、“後輩のお願いだから聞くしかない”というような感じでした」(母親)

