患者が抱える問題は環境や立場で異なる。経験を共有したい
患者が抱える問題は、同じ病気でも、年齢や性別、家族構成や仕事など、置かれた状況によっても異なります。私は独身ですが、発病した2003年は実家で父にもがんが見つかり、治療にあたっていた時期でした。私は30歳そこそこの自分まで難しい病気になったということが不甲斐なく、自分の親不孝ぶりに何より落ち込みました。まもなく父は他界しましたが、後ろ盾がない状況で病気と対峙するのはなんとも心細いものでした。
発病前、私は介護現場で非常に体力を使う仕事をしていたのですが、離職せざるを得ず、病気になって患者が失うのは健康だけではないということを痛感しました。肉体的、経済的、精神的に追いつめられて、社会からはじき出されたようでした。病とともに生活をし始めてつくづく感じたことは、日本の社会は元気な青壮年を基準に作られているということです。どこへ行くにも何をするにも、働き盛りの人たちのものさしで街ができています。でも、ものさしに合わない人はどうしたらいいのでしょう。
日本はこれから社会の高齢化がさらに進んでいきます。
筋力が落ちて疲れやすくなる、食べ物を飲み込みづらくなる、目が見えにくくなるといったMGの症状は、高齢者の特徴とかなり近いところがあるように思います。私たちはそれを一足早く経験しているわけなので、自分が知っていることを伝えなくてはいけないと思っています。
薬はランナーにとっての「伴走者」のような存在
患者はわらにもすがる思いで、薬や効果的な治療を待ち望んでいると思います。私自身、少しでも症状が和らぐお薬があって、ご飯が食べられて、人間らしい生活ができたらと願ってきました。現在の私は母と二人の生活で、仕事も継続してできるようになっています。これも多くの方の支えやお薬の治療のおかげだと思います。一方で、病気になる前にやっていたことができないまま、やめたり手放したりしたこともたくさんありますし、機会に恵まれずに諦めたこともあります。そんな中で、新薬ができたというニュースは、患者に新たな機会を与えたり、選択肢が増えたりすることであり、非常に喜ばしいことです。
患者にとってお薬とは、例えば視覚に障害のあるマラソンランナーがゴールにたどり着くための「伴走者」のようなものではないかと思っています。出口の見えないトンネルの中で、共に寄り添って明るい方に導いてくれるような存在ではないでしょうか。欲を言えばこのレースに終わりがあり、薬がなくても歩いて行ける、あるいは病気が完治するといったゴールが待っていたらどんなにいいだろうと思います。ただ、まずは症状を落ち着かせて、難病患者も社会に参加できるようになること、そして、私も自分なりの人生を全うし、納得して締めくくれることを心から願っています。

