
“マイトガイ”の愛称で知られる昭和の銀幕スター、俳優・小林旭。昭和歌謡界に名を刻む大歌手でもある。10月2日(木)放送の「船越英一郎の昭和再生ファクトリー」」(毎週木曜夜9:00-9:55、BS12 トゥエルビ[BS222ch]※全国無料)第45回では小林の俳優、歌手の二刀流人生を特集。小林が日活時代の思い出の場所を訪れ、かけがえのないパートナーたちと再会し、86歳の今も現役でステージで歌う姿が収められている。先行試写を見たWEBザテレビジョンが番組の見どころを紹介する。
■小林と浅丘、43回の共演で一度もラブシーンがない…2人の許されなかった恋
4歳から児童劇団に所属していた小林は、昭和31年、17歳のときに日活映画「飢える魂」で銀幕デビュー。昭和最後の大スターであり、ダイナマイトのように熱い男という意味から、“マイトガイ”の愛称で日本中から愛された。
まず小林が向かったのは、日活時代によく通ったという赤坂。撮影所も近くにあり、毎晩のように料亭や中華料理屋に通っていたという思い出の地で再会したのは、日活の看板女優だった浅丘ルリ子さん。2人は、8作も続く大人気シリーズとなった「渡り鳥」の第1作目「ギターを持った渡り鳥」で共演。小林の159本の出演映画の中で、浅丘さんとの共演はじつに43回にも上る。
昭和30年代は日活黄金期と言われ、年間数百本以上の映画が製作されていた。渡哲也さん、石原裕次郎さん、二谷英明さんもいた。トップ女優の浅丘さんは台本4本くらい抱えて、毎日相手役を変えて撮影。14日くらいで1本撮って、その間に次の撮影の準備という、今では考えられない銀幕最盛期の話はとても興味深い。
対談では、公私ともに支え合った2人の気持ちも述懐。浅丘さんは小林への気持ちは役の気持ちと半々だったと明かすが、小林は、共演の中でラブシーンどころか手を握ったことも一度もないと振り返る。日活が、「映画の中で小林と浅丘は恋をさせるな、祐ちゃん(石原裕次郎)と恋をさせろ」というお達しを出していたからだ。
「何十年ぶりに触ったね…」と、涙を浮かべながら小林の手を握る握る浅丘さんの姿がとても胸に詰まる。
■小林は遠い離島でも、自分の歌が人生の一部になっている人のために足を運ぶ
歌手としては、86歳の今もステージに立ち続ける小林。番組後半では、200万枚以上を売り上げた小林の大ヒット曲「昔の名前で出ています」(1975)や、こちらも愛されるヒット曲となった「自動車ショー歌」の作曲を手掛けた作曲家・叶弦大さんと再会。「とにかく哀愁がある」と小林の歌の魅力を語る叶さん。
「昔の名前で出ています」のレコード売り上げは、当初デイリー2000枚が長く続き、そのうち5000枚に。そして200万枚になっていったヒット曲の誕生秘話は必見。当時の小林はゴルフ場事業の経営失敗で十数億の借金を抱えており、厭うことなく毎日キャバレー巡りで歌を歌ったという。キャバレーが大社交場であり、ステージであった昭和ならではの逸話だ。
さらに、番組は2025年9月に行われたディナーショーに、リハーサルから密着。「歌は3分のドラマ」という小林が自らリハーサルを仕切り、曲に込められた思いを届けるには一切の妥協を許さない“マイトガイ”の熱い気持ちが画面に映る。
このディナーショーは、長崎県・佐世保の九十九島で行われたもの。そんな遠方の小さな島であっても小林は、自分の歌が人生の一部になっている人のために足を運ぶ。会場は300人のファンで満席となり、「小学生からのファン」「何十年も見ている」と言葉を詰まらせる人たちも。「昭和恋唄」「自動車ショー歌」「熱き心に」を歌う、小林の最新ステージの姿も見逃せない。
最後に、小林は「今も歌い続けている理由」を語る。
さらに10月9日(木)の放送では、番組収録スタジオに小林が現れる。お会いしたことは一度もない憧れの大スターの突然の登場に、普段落ち着きを崩さない船越もさすがに動揺。思いがけない形で小林と船越の対談が実現する。
「引退は死ぬとき」と語る小林に船越は涙する。
◆文=鈴木康道


