香り高いあおさの名産地である福島県相馬市の松川浦。松川大橋を渡るバスの中からパチリ。最盛期には2万4000本もの柵で、のり網を固定し養殖をしていたとか。震災時の津波ですべての網が流れてしまいましたが、多くの努力で少しずつ復活。2018年には最盛期の約10%にまで回復したそうです
2026年1月18日、特急ひたちから降り立ったのは福島県富岡町の玄関口、富岡駅。バスで目的地までの移動に通った主な道は国道6号線。通称「ロッコク」です。初めてなのになんだか懐かしい場所に来たような気持ちに一瞬なったのは、ノンフィクション作家、川内有緒さんの著書「ロッコク・キッチン」(講談社/2025)を携えていたからかもしれません。
福島浜通り地区の人は何を食べているんだろう?
「ロッコク・キッチン」は、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故発生後の浜通り地区で生きる人々の姿や暮らしに「食」を切り口に迫った作品。原発事故から14年が経ち、「みんな、なに食べて、どう生きてるんだろ?」という素朴な思いをきっかけに、著者の川内さんが数名のスタッフと共に国道六号線(ロッコク)を旅してつづった、ノンフィクションエッセイです(同名のドキュメンタリー映画が全国各地で公開中)。
福島の浜通り地区に生きる人の暮らしを、「食」を切り口に迫ったノンフィクションエッセイ『ロッコク・キッチン』
川内さんたちは、沿道の住民から食を巡るエッセイを募集し、その書き手らを訪ねます。双葉町の避難指示が解除されて最初に町に戻り、母がかつて営業していた店「ペンギン」を復活させた敦子さんの熱々の「カツサンド」、浪江町に移住して働くインド出身の女性スワスティカさんの「チャイ」、昼間は原発作業員として働き、夜は本屋を営む武内さんの「クラムチャウダー」など、いまロッコク沿いに住まうひとたちの暮らしや思いが丁寧に記録されています。
食べることは生きること。食べものを真ん中に食卓を囲んだ時、こころが開いて、その前よりも心の距離が近づくという時が確かにあります。立ち上るあたたかな湯気に、ふと重たい口が開くことも。
ここに集められたのは、川内さんたちが、彼らと一緒に同じものを食べ、飲み、語り合ったからこそ、ポロリと零れ落ちてきた言葉たちなのだと思いました。
登場人物の土地に対する愛着、震災に対する想いの深さや方向もいろいろで、共通しているのは、いまそこで暮らしを編んでいるということ。
「東日本大震災」「被災地」という言葉は、なんだかくくりが大きすぎて。時に、その土地に日々起きていることや、そこに生きる人たちの声を見えなくさせてしまうけれど。
そこには、住まう人の数だけ日々の暮らしの物語があって、想いがあって。向き合っている現実も地域への想いも様々なグラデーションがある。そんな当たり前の、でもすぐに見えなくなってしまう現実があることを、この本はそっと教えてくれます。
私のロッコク・キッチン
私も2026年1月、震災や原発事故の教訓を現地で学ぶ「ホープツーリズムモニターツアー」の参加者として富岡町、大熊町、双葉町、相馬市、南相馬市をめぐり、その中で、ロッコクを北上してきました。ロッコクを行き来して、印象に残った「私のロッコク・キッチン」は、福島県唯一の潟湖(せきこ)がある、風光明媚な相馬市の松川浦で食べた「復活の浜焼き」です。
「復活の浜焼き」。レクチャーを受けながら、参加者が自分で串を打ち、囲炉裏端へ。この日はカレイとイカを炭火で焼いて、秘伝のたれを絡めて頂きました。身はふっくらでひれはカリカリ。最高に美味でした
松川浦は東日本大震災で大きな津波被害を受け、2021年2月、2022年3月にも福島県沖を震源とする震度6強の地震に見舞われ、そのたびに立ち上がってきた場所です。震災前には、松川浦の旅館や飲食店の前で、炭火で焼かれた地元の魚介類「浜焼き」が売られ、人々がその浜焼きを頬張りながら通りをそぞろ歩く姿が日常だったと言います。「復活の浜焼き」は、震災で失われてしまった浜焼きを、地元の旅館の若旦那で構成される「松川浦ガイドの会」が、「あの味、あの文化を後世に残したい」との思いから蘇らせたものです。
浜焼きを供して下さった、「松川浦ガイドの会」の若旦那さんのかっこいい背中をパチリ
福島県沖(常磐沖)で水揚げされる脂の乗った高品質な魚介類は「常磐もの」と呼ばれ、むかしから高い評価を受けてきましたが、震災で操業自粛や出荷制限を強いられ、長く苦難の時間を過ごしてきたと言います。
松川浦と浜焼きについて、たくさんの笑いを交えながら明るくお話し下さった若旦那さん方の大きな笑顔とあたたかい言葉の向こう側に、越えてきたものの大きさがにじみ出ているようで。地に足をつけて、前を向く姿は最高にかっこよくて。たくさんの人の想いと共に、ほかほかと焼きあがった浜焼きは最高においしくて。なんだかとても幸せな味がしました。
