
3月3日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。前週に引き続き、1月20日におこなわれたトークイベントの模様が届けられた。ゲストは阪神タイガースの黄金期を支えた真弓明信と、「絶好調男」の愛称で親しまれた元読売ジャイアンツの中畑清。MCの徳光和夫と遠藤玲子とともに、1985年の阪神優勝の裏側や首位打者争いの知られざるエピソードなど、昭和プロ野球を彩った名場面が次々と語られ大きな盛り上がりを見せた。
■熾烈な首位打者争いの知られざる裏側…真弓と中畑の対照的な結末
1983年、真弓は打率.353を記録しセ・リーグ首位打者に輝いた。当時は若松勉、田尾安志、山本浩二といった名打者がひしめく激戦の年。その頂点に立った真弓の偉業が徳光から紹介されると、会場からは大きな拍手が起こった。真弓は当時を振り返りながら「右バッターで、.353という打率は長嶋さんと一緒」と笑顔で語ると、中畑も「これは自慢だよな。この数字はすごい」と改めて驚嘆する。
シーズン終盤、真弓は監督からは「お前は休め。休んだら(首位打者を)穫れるから」と言われていたという。しかし心のどこかで納得できなかったため、「今日打てなかったら明日考えます」と伝えて出場を選択。その試合で2安打を放つと、その後も最後まで試合に出続けて見事タイトルを手にした。
一方で中畑は1987年の首位打者を争うなか、規定打席に届いていなかったため休めない状態が続く。最終盤の5試合で1本ずつヒットを打てば首位打者になれる計算だったというが、結果はまさかの無安打。惜しくもタイトルを逃してしまう。
プロ野球ファンにとって選手個人の記録は見どころのひとつだが、真弓の「チームが優勝すると“やり切った”となってしまう」言葉に中畑も「気持ちが切れるもんな」と同調。個人タイトルとチームの勝利、その狭間で揺れる選手心理が垣間見えるエピソードとなった。
■伝説のバックスクリーン3連発に隠された苦い記憶
話題は、いよいよ1985年の阪神優勝へ。当時の象徴的なシーンとして語り継がれているのが、バース・掛布雅之・岡田彰布による「バックスクリーン3連発」だ。
ところがこの試合に出場していた真弓は、当時の巨人先発・槙原寛己の調子が非常に良かったと感じていたという。「このボールは今日は打てない」とお手上げの状態で、実際に真弓自身は4打数0安打に終わっている。そのためあの3人が立て続けにホームランを放った光景は今でも不思議に感じるほどだった…と、当時の心境を明かす。
試合は阪神が勝利したものの、実は9回表に巨人がクロマティと原辰徳がホームランで1点差まで詰め寄っていた。最後まで緊迫した展開が続く白熱の名試合だったのだが、徳光が「その次の打者は?」と尋ねると中畑は気まずそうに「あまり記憶がないんですよ」と笑い顔。惚けた言葉が、会場を沸かせた。
徳光がさらに「もしあの時、中畑清が打ってくれていたら、こんなに残らなかったわけですよね」としみじみ語ると、中畑は「あーそうですか」と苦笑い。歴史的名場面の裏側には、当事者の苦い記憶が隠れていたのだ。
また当時の阪神打線は真弓・バース・掛布・岡田の4人が打率3割超えを記録。さらに真弓以外の3人は100打点以上をマークするなど、圧倒的な破壊力を誇っていた。投手陣の防御率はリーグ4位と決して盤石ではなかったが、中畑は「この年の阪神というのは、“打線が投手を育てた”と言われたんですよね」と当時の猛虎打線の凄まじさを物語った。
■監督としての哲学を学んだアテネ五輪での銅メダル
番組後半では、2人が経験した監督としての哲学にも話題が及んだ。中畑は2004年アテネ五輪で長嶋茂雄に代わり監督を務め、見事銅メダルに輝いた実績もある。「あの経験はどんなことにも代えがたい。負けることに怖さを感じなくなりましたよ」と回想する中畑。日の丸を背負う重圧を経験したことが、その後の横浜DeNA監督時代の大胆な改革や采配につながったのだという。
一方の真弓は、阪神監督時代に選手の個性を重んじていたと述懐する。コーチ陣から「調子に乗ってるな、あいつ」と指摘された選手についても、「頼むから調子に乗せてやってくれ。調子に乗ってるときのほうが、本当に良い仕事をする」と伝えていたと明かす。
今回の放送で印象的だったのは、昭和プロ野球の人間味だ。数字や戦術が高度化した現代の野球とは違い、当時は選手の感覚や勢い、そして個性がチームの強さを生み出していた側面も大きい。真弓と中畑の言葉からは結果だけでは語れないプロ野球の奥深さがにじみ出ており、あらためて野球というスポーツが持つ物語性を改めて感じさせてくれる時間となった。

